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過去に囚われた心では前を向けない

学部時代のラボのslackの#generalに先生から「M2の〇〇さん、B4のXXさんと□□さんがそれぞれの優秀賞に選ばれました」という通知が届いた。そこで、一年浪人して獲得した大学院の入学書類を作っていた自分の心は一気に一年前に吹っ飛ばされました。

闇。一年前の卒論提出直前、卒論発表直前の自分の心はドロドロとしてぐちゃぐちゃとして曇った夜の底なし沼のよう。先も見えないし、どれだけ前に進もうとしても足元ががんじがらめで小さな一歩を踏み続けるしかない。データだけはたくさんあったけれど、それを切羽詰まった精神状態で”研究”と呼べる代物に昇華させられなかった。そして、「データをたくさんとりました!」と述べるだけの卒論と発表になってしまった。

卒論発表では他の発表者とは全然違う手法、実験材料なだけじゃなく大量の実験結果載せている審査の先生たちの理解を得にくい条件がそろっているのに、自分でも”研究”のストーリーがわからないのだからむなしい時間が続く。おまけに、短時間で理解を示してくれた鋭い先生からの質問にも適切にこたえることができなかった。

毎年のように卒論優秀者を輩出していたラボだったけれど、去年は選ばれなかった。今にしてみれば当然だと思えるけれど、当時はめちゃめちゃに落ち込んだ。その1か月後の学会発表ではデータをそぎ落として、ストーリーのある内容にしたらだいぶわかる内容になったからこそ惜しいと後悔の念を感じてしまう。

消化不良な発表のまま卒業をしたことで、自力で岸辺にたどり着きたかった巨大な「卒論沼」から自力で抜け出せないままにヘリで救助(卒業)されてしまった感じ。

春からの大学院生活を楽しみに準備をしていた心が、そんな真っ黒だった卒業直前の後悔に、それから正直、後輩たちへの嫉妬に、囚われたとたんに前が見えなくなってしまった。

「何故自分はそれができなかったのか」
「どうするべきだったのか」

目の前にある書類には手が付かなくなるし、どんどんと心が体育座りをして、体育座りの心がカタツムリの殻よりもグルグルと背を丸め続ける錯覚にとらわれるほどにうずくまった。

でも、そんな心のままじゃ何もできない。

出来ないと困るからこそ、後ろを向ていてる身体を何とか前に向ける。
「他人と自分を比べても仕方がない。過去の自分と今の自分を比べなければ」そう自分に言い聞かせて顔を上げる。「昨日の自分より一歩前に」そう自分に教えて前を向く。「大学院では何をしたい?」そう尋ねて歩き出す。

落ち込むこともある。他人とついつい比べてしまうのもしょうがない。
過去は過去。失敗を糧にすることはしても囚われちゃいけない。
やっぱり過去の自分の後悔が未来の自分を縛ってしまうのは、過去の自分も、今の自分も、未来の自分までも得をしないから解き放つ。

そうやって過去に囚われた心を前に自発的に向かせられるようになったのは、過去の自分に比べて成長したところ・・・だと思う!!!

後輩に嫉妬してしまった自分の器の小ささは正直かなり恥ずかしい。次は器を広げて、成功した人を心からたたえられる器になりたい。

頂いたサポートは、南極の植物を研究するために進学する大学院の学費や生活費に使わせていただきます。