ネットゲームの仲間たちと出会う。リアルはひきこもり。#2 (アルバイト)

自己紹介エントリーの”いままでやってきたこと”の順に沿って記事を書いていきます。


自己紹介エントリー

高校受験

大阪での家出を終えてしばらくして、進路をきめる時期がきました。
正直、まだどうしたいかもわからないし。
就職のことを考えて進路をきめる意味も全然納得していなかった私はもともと機械好きなことを活かして(安直にまわりのいうことに流されて)高専と工業高校の2つに絞って受験することにしました。

高専は就職率がとても高く試験の難易度も競争倍率も高い。
工業高校は倍率が割れている夜学で受験。

当然、準備不足が明確だった私は高専の試験に落ちて。
工業高校は倍率が割れているので、当然。合格。

高校には進むことになりました。
(同じ中学校の子たちからは、あいつは人生終わったやら、あいつよりマシだから大丈夫とか言われてたそうな。)

夜学の退学

工業高校の夜学に進学し、登校後。学食で夕食をとってから3時間授業。
そのまま帰るルーティンで登校をしていました。

まわりの人たちは"仕事を終えてから学びに来ている人""地元の不良たち"でした。
が、みんなそれぞれにやりたいこと。どうなりたいかという目標とはいわないけど。その進路を選んで集まってきた人たちなことに卑屈になってしまい。学食で夕食を食べてること自体にも罪悪感を感じてきて。

長くはいられませんでした。

べつになにか言われたわけじゃないけど。ただやり過ごすだけの学校生活を3年続けていくことが想像できなくなって。3か月経たずに逃げるように退学しました。

このまま時間が過ぎると将来自動的に確定されるような。
そんな恐ろしさがあったんだと思います。 やりたいこともないくせに。

高校浪人とネットゲーム

結局、学生という立場でもなくなり。ただの無職になりました。が。
とくに目的もないまま、逃げた私は次の過ごし方を嘘でも提示しないといけなくなりました。

まわりが納得する答えは高校に入りなおすこと。
全然、できる気がしなかったけど。高専を受けなおすということにして高校浪人となりました。

ただ、受験に向けて真剣に打ち込んだかというと全然そんなことはなくて。
現実逃避をする為にネットゲームを始めることになります。

当時やってたゲームは"ラグハイム(旧名)" という韓国のネットゲームベータテスト版で。無課金で遊べる3Dのゲームでした。

そのゲームはひとりひとりがアバターを扱って。そのアバターを育てたりモンスターを倒して装備を手に入れて強化したりする自由度の高いゲームでした。

始めて数日すると一回遊んだことがある人や顔見知りの人ができるようになってきて。いっしょに遊ぶことが多くなってきました。

チャットルームのときとは違い、ネットゲームの層は私より年上の人が多く。私のことを年齢相応として扱ってくれました。

そこで、いままでおきたこと。これからどうしていいかわからないことを一緒に遊んでいく中で開示して。いろんな人の話を聞く日々を過ごしました。

高校受験の前日

高校受験の前日。焼酎を飲んでたじいちゃんに居間に呼び出されて。そこに座れと言われました。

"もううちには金はないからお前のことは面倒みらん。" "高校にいっても金はないから早く働いて自分のことは自分でやれ。" と檄を入れたかったのでしょう。

ただ、私はお金がないことだけを受け取り。このまま進学してもなにも解決しないと思い込んで。
"じゃあ、高校なんかいかねーよ。" "お前らは中途半端なことばっかりいって。なんも参考にならねえじゃねえか" と激怒して。

・・・翌日の高専の受験にいきませんでした。

この一件で。まわりの大人からはお前なんかもう知らんとさじをなげられて、さんざん失望されて。ばあちゃん以外。もう私のことを取り合う大人はいなくなりました。

アルバイトをはじめる

なにもしないわけにもいかない私はネットゲームの仲間たちから助言を受け。現状打破をする為にとにかくお金を稼ぐことから始めようと仕事を探しました。

ファストフード -> 落ちる
お好み焼き屋 -> 落ちる
銭湯の清掃    -> 落ちる
ドラッグストア -> 面接後2か月連絡なし。 欠員が出たため採用(!)

とりあえず、自分でお金を稼ぐ手段を確保し無職ではなくなりました。

通信制高校の誘い

ネットゲームをしてアルバイトをしている日々が落ち着いてきたところに。

しばらく距離をとっていたチャットルーム仲間のAくんから"高校いってないってきいたんだけど。合うと思うから見てみて。" と山梨にある航空高校の通信制のパンフレットが届きました。

通信制というものを私は当時よく知らなかったのですが。

  1. カリキュラムは計画が設定されており。郵送での提出が可能。

  2. 年間2回(夏と冬) のスクーリングで現地に集まって授業。

  3. 学園の中にある専門学校と大学や個別の就職など進路の方向性がみえる。

という特徴があり。
誰かと合わせないといけないなどの私が一番苦手だった部分がなく、自分のことを考える時間を3年は確保できる点に惹かれて。

別に暮らしていた母とおばあちゃんに相談して入学することに決めました。

(通信制の)高校生活

通信制の高校生活は普段の生活の延長線の中で過ごすことができたので。
特別嫌なこと。辞めたくなったりとかはありませんでした。

スクーリングで関東に2回いく為の計画や現地で出来たクラスメイトとの関係性も久しぶりにあう仲間程度の"ちょうどいい関係性"で、個別のやりとりも普段はない為。私には過ごしやすい環境で普通の子とは少し違ってしまったけど。 ちゃんとした学生生活を取り戻しつつありました。

いまおもえば

なんだかんだ、いろんな人が助けてくれたけどいま思えば綱渡りばかりだと改めて思いました。あと、いろんな大人に迷惑をかけたな とも。

落ち着いた状況が続いて地元から出ていくこともなく。
ほどほどで続いていくこともできるのかな、と考えていた。
2002年ごろのおはなし。

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