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セラピーとしての本屋、そしてことば
私は
嫌なことや
モヤモヤすること、
悩んでること、
何か物足りない時があると
本屋に行く。
今日もバイトで失敗してしまい、帰りに本屋に立ち寄った。
昔からそうだった
私は言葉を探してる
私を救ってくれるような言葉を求めてる
何かに出会いたい、そんな欺瞞的な気持ちで本屋に行く
そんな人にも、本屋はいつだってやさしく、そこにいることを許してくれる
本屋には、全ての考えや感情や知識が詰まっているように感じる
うるさすぎる本の知識量と対照的な静かな空間が、
知識と言葉に飢えた私にとって
その満たされない心を一瞬満たしてくれる、セラピーのような場所だ。
私は知識と言葉に飢えていた
幼い頃の私の家には、本を買い与えてもらえるような余裕がなく、
代わりに図書館で本を借りて読み漁っていた
最近の本を全く置いていない図書館に嫌気がさして、小学3年生くらいから、
ショッピングセンターの一角の
綺麗で広々とした本屋で
母が買い物を終えて迎えに来るまで、ずうっと本を読んでいた。
ハードカバーの本を何日間も分けて読み終えたりしていた
今考えれば、とても非常識な行為ではあるものの、
言ってしまえば、相対的貧困の中にある子供で、無力で、女子で、きっと学びなんか将来の役に立たないと、諦めの眼差しの中で生きていたそのころの小さな私にとって、
本の世界は、夢の世界だった
私の知らない世界に私を招き入れてくれる
周りの大人が掛けてくれないような言葉をくれる
手元に残らなくても、鮮明な感想やその時の感情が記憶として残り続ける
欲しいものを一つも手に入れられなかったあの頃の私にとって
手に入れた唯一の無形で有形なものが、本を読んだ後の知識と感想と感情だった。
形あるものが手に入らなかった分
形のない記憶と感情は
私にとって、自分の力で手に入れられる、唯一の希望だった。
いまも私は、何かとそんな希望を求めて本屋に行く
前ほどしっかり立ち読みはしなくなったけど
いろんな種類の本や雑誌にパラパラと触れていると
今日、やりたいことが思い浮かぶ
今週末まで頑張れる理由を見つけられる
いろんな言葉が、嫌なことを反芻してしまう隙間を埋めるように
寄り添ってくれる
そんな、気がするから。
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