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「よりよく生き、よりよく死ぬ」ための日本人の信仰のかたちとは⑧

魂の悠久の営みを感じる供養祭祀

 ここから、法身仏教の世界観ならびに三界托生の死生観に基づく供養ならびに祭祀の次第を定めて、本書の終章としたい。

 我々衆生が現世において担う利他行は、現世の内だけでの魂の絆の創出にとどまらず、その絆を携えて兜率へと往生した魂の往生浄土を支える働きかけにも及ぶ。よって以下に定める如く有縁の故人の精霊供養にも励むことが求められる。家人の死に際しては、通夜ならびに告別式、初七日法要は「菩提寺(回向寺)」と定めた自宅近隣の真言宗寺院に依頼し葬祭場にて執り行う。閻浮提を旅立った死者の魂は現世と幽世とを隔てる三途の川、紀ノ川を越えて高野山に昇り、弘法大師に迎えられて兜率への往生を果たす。満中陰(まんちゅういん)を以て兜率往生の成就とみなし、菩提寺にて四十九日法要ならびに位牌の開眼(かいげん)供養を行う。遺骨のうち本骨(ほんこつ)(喉仏)は高野山奥の院に納骨、胴骨(どうこつ)は粉砕して自宅仏壇に安置し、遺骨によって高野山と自宅とを結び、墓は建立せずに手元供養を続ける。仏壇にはご本尊として、高野山奥の院で開眼供養を行った弘法大師像を祀り(脇侍も置く場合は金胎両部の曼陀羅もしくは大日如来像とする)精霊の往生浄土を日々祈念する。兜率たる高野山に昇った精霊は、吉野熊野の峰々を縫って南へ縦走する十津川、熊野川の清流で欲念を浄化し、閻浮提に残された縁者による供養に支えられながら大欲を感得するための修行を続ける。各精霊の祥月命日ならびに古代ペルシアの祖霊祭に起源を持つ盂蘭盆会(うらぼんえ)には自宅の霊前にて読経供養を行い、年忌法要も自宅霊前もしくは胴骨持参のうえ菩提寺で執り行う。なお転居した際には菩提寺は適宜転居先の真言宗寺院に変更してかまわない。菩薩行を修めついに大欲を感得した精霊は、神霊に転じ阿弥陀仏の垂迹神たる熊野権現に迎えられて熊野灘へ抜け南海の浄土へと往生していく。三十三回忌を以て往生浄土の成就とみなし、位牌の閉眼(へいげん)供養を行って胴骨は熊野灘へと散骨し弔い上げとする。

 浄土に住まう神霊(祖神(おやがみ))は時に観音菩薩へと姿を変えて閻浮提に降臨し、永久に祖国と子孫を守護する。我が国の一切の神霊の普門示現を導くのは、我が国の始まりの地である大和に有史以前より鎮座し国造りを支えてきた大御祖神(おおみおやがみ)にして摩訶毘盧遮那の垂迹神たる大物主大神(おおものぬしのおおかみ)(三輪明神)である。三輪山を神奈備(かむなび)とする大神神社(おおみわじんじゃ)の主祭神、大物主大神は古事記には「海を照らして倭の東の三輪山の頂に降臨した」と記されており、また三種の神器のひとつ八咫鏡(やたのかがみ)は天照大神の依り代として倭姫命の手により伊勢へと遷座されるまでは三輪山頂の高宮(こうのみや)神社に祀られていた事実から、三輪山は建国当初の大和朝廷に最も重んじられた太陽信仰の聖地であり、天照大神が遷ったのちもそこに鎮座し続けた大物主大神こそ我が国で最高の神格を有する創造神・国家守護神なのである。毎年始には初詣として大神神社を参拝し、三輪明神に有縁の全ての神霊の御魂の安穏ならびに還相回向による祖国家族の守護を祈願し、神札を拝受して自宅神棚に祀り日々拝礼する。子の人生儀礼(着帯、初宮、七五三、元服)に際しても、まずは自宅神棚の三輪明神に拝礼したのちに地主神を祀る近隣神社を参拝して神事を執り行う。転居の際にもまずは大神神社に参拝しその旨をご奉告して新たな神札を拝受し、引き続いて現地では国土の守護神である大地主神(おおとこぬしのかみ)ならびに地主神を奉斎する地鎮祭を近隣神社に依頼して執り行い、土地の神霊との結縁を果たしたうえで、改めて新居の神棚に新しい三輪明神の神札をお祀りする。精霊の住まう兜率への入口たる高野山、そして神霊の住まう浄土からの出口たる三輪山をそれぞれ往相回向、還相回向の聖地と仰ぎ「御霊山(ごれいざん)」と称す。

 最後に、自身ならびに家人の個人的な現世利益(息災(厄除、安産、交通安全を含む)、増益(そうやく)(子授を含む)、敬愛、調伏(ちょうぶく))の祈願を執り行う場合には、相対的に縁の薄い他の魂に対してはむしろ望ましくない影響を及ぼす可能性も孕んでおり、場合によっては私欲の現れとも捉えうることから、最高神摩訶毘盧遮那の教令輪身(きょうりょうりんしん)として忿怒の相で閻浮提の衆生を教化する不動明王を護摩によって招来し(火生三昧(かしょうざんまい))、利他の精神を以て欲念の浄化に努めるとの誓いを先に立ててから願意を宣べる。なお神社に関しては、国家や家族といった不特定の集団の守護を祈念することはあっても、個人的な祈願を行うことは避けるべきである。年始には一族の「祈祷寺」と定める真言宗の不動尊霊場を参拝して護摩供(ごまく)を奉修し、一年を通じての普賢行の勤修(ごんしゅ)を誓うと共に家内安全を祈願し、さらに特別の願意が生じた際にもその都度この祈祷寺を参拝して護摩祈祷を執り行う。護摩祈祷に際して拝受した祈祷札は、神棚の傍らに一段低く別に棚を設けて不動明王の尊像もしくは御影とともにお祀りし、神棚、仏壇への拝礼のあとに五体投地(ごたいとうち)を以て日々礼拝する。

 等しく即身成仏の素質を備え摩訶毘盧遮那(自性法身(じしょうほっしん))の説法の功徳を享受する人霊、精霊、神霊の魂(受用法身(じゅゆうほっしん))を直接的に各界で教導する、不動明王、弘法大師、三輪明神(変化法身(へんげほっしん))の祭祀の厳修を通じて、ついに法身仏教の世界観ならびに三界托生の死生観を心底より確信するに至った時、在家の身にありながらも生活活動の全ては利他の普賢行へと転じ、そして死による可視的な肉体の消滅への恐怖感や虚無感からは解放されて、今の一瞬一瞬の生に対し微塵の迷いもなく真摯に向き合うことができるようになると信じて疑わない。ひいては凡夫でも現世において到達し得るこの境地こそが、空海が説くところの「歓喜地」に他ならないのではないだろうか。

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