処世術|論理性に欠ける理不尽な発言をする上司との戦い
今日はなんだか,戦った。
仕事で論理性に欠ける理不尽なことがあった。
自分がというよりも,自分がいるチームを守るために,戦った。
記憶より記録,主観より客観,感情より事実。
私の主張に対して,論理性に欠ける理不尽な発言をする上司,ネチネチと自分の記憶を頼りに主観的に,感情的に話し続ける上司。
彼自身の感情は,彼自身の気持ちは,今は一切関係ない。
もちろん私の気持ちも同様に。
適当に受け流すこともできる。
だけど,今日は自分がいるチームをチーム長として,守る必要があった。
上司の根拠のない主張に屈するわけにはいかない。
そのために,私は客観的な事実としての記録を用意した。
彼の主張が論理的に破綻していること,私の主張の正当性を証明する書類にマーカーをして,彼に示した。
説明はいらない。
下手に何か言うよりも,ただそこにある事実こそがすべてを語る。
私の主張の正当性を証明する書類は,他でもない彼自身によって承認された書類である。
結果として,私の主張の正当性は認められた。
チームは守られた。
別にそれでいいんだけれど。
結局,彼は自分の誤りを認めることはなかった。
むしろ,負け惜しみかのように吠えていた。いくら吠えたって,主張の正当性は覆らない。客観的な事実に裏打ちされた根拠は,感情では覆らない。
世の中には,唯一の正しさはない。
だけれど,法律や規則はある一定の正しさを担保するものである。
そして,客観的な事実は,その解釈の多様性は存在するにせよ,事実は事実として存在し続ける。
知識は身を守る。
知識をつかえるだけの論理を。
なんて,今日は疲れたので,mofusandでも眺めて癒されることにする。
かわいい。おすすめ。みんなも癒されて。
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