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感情を表す言語の解像度の低さに驚く。

考えることは、誰しも、いつでも、自然にできることだと思っていた。
意外と考えていないかも、と余白の多い日々の中で思う。

仕事の線引きが曖昧なので、意識的に切り離さない限り、常に仕事ができる。
それは、良くも悪くもあって。この休暇中は、他者とやりとりが必要なタイプの仕事は、意図的に切り離している。自分の時間を過ごしたいから。
それでも浮かんでは消えていく、仕事のいろいろ。
何か対応すれば浮かぶことは無くなるのかもしれないけれど、切り離して、対応しないと決めた。それでも、浮かんでは消えていく仕事のいろいろ。

仕事を考えてしまうんだと思っていたけれど、考えているわけではないのだと、余白の中で思う。
特に思考が進むわけではない、ただ浮かんでは消えていく。ただ繰り返す。
浮かび上がる不安で息ができなくなる。不安をネガティブなものだと判断して、浮かび上がらないようにと、その気持ちをないものかのように、目をそらす。
それでも浮かんでは消えていく。

この気持ちを明確に言語化することができない。
なぜ浮かんでは消えていくのか。何にモヤモヤしているのか。
あるいは、どうして対応しないのか。なぜ自分の判断に自信が持てないのか。
思考には言語が伴う。雨にも種類があるように、感情にも種類があるように、言葉にして、表現して、思考する。
自分の感情に対して、感情を表す言語が乏しいと感じることがある。嬉しい、楽しい、幸せ、喜び以外のポジティブな気持ちの機微を表す言葉を知らない。自分の感情を表す言語の解像度の低さに驚く。

琴線に触れる経験を。
そして、言語化する体力を。

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