「コミュニティの憂鬱」を解決するためには何が必要か?
私は現在とある当事者コミュニティの運営者として活動している。(→離婚の子どものコミュニティ「BrandNewMoning」 )
そのコミュニティを運営したり、他のコミュニティの運営を手伝う中でたまに悩むことがある。
コミュニティに所属している皆さんもこう考えたことはないだろうか?
・なんでみんなでいい事をしようとしているにも関わらず、議論が全然進まないのかなぁ…
・みんなでうまく協力し合うことができれば、もっとコミュニティが良い方向へ進みそうなのになぁ...と
それは私のところも同じで、人間関係で良い方向に進む時もあれば、良くない方向に進む時もある。
とある悩みを抱えた当事者が集まるコミュ二ティではそれが顕著であり、コミュニティの存在が、時として新しく「悩み」そのものを増やしてしまうことへと繋がる。
これは自分が見知った経験であるし、他のコミュニティを運営したり参加している経験者からも聞いた事例であり、そのいくつかと自分なりの解決法をまとめておこうと考えた。(あくまで個人的感覚がベースであることはご了承していただきたい)
今回の内容は、コミュニティ作りをやっているものとしてある意味避けては通れない問題であるのではないかと考えている。
※発言内容が自分の行動にも常に掛かっていることを重々承知だが、自戒も込めて残す。
視点は運営者側からの目線で書いてあるが、参加者からも参考とできるようまとめたつもりである。 分かり辛かったらすみませぬm(__)m
是非とも、あなたが加わっているコミュニティに活かしていただけたら幸いである。
では具体的にどのような問題があるのか紹介したい。
1、自助だけでは足りない現実
私たちが行っているコミュニティは「悩みを抱えた当事者同士による支え合いの場」を活動の柱にしており、自助グループという位置づけが最も近い。
経験の語り合いを基本のベースとしているが、そもそも、本来の目的として解決の場を設けているわけではないにも関わらず、話し合いは結局正解を求める形になりがちである。(この辺は、ファシリテーターが場をコントロールし切れてないと言えるので反省)
当然ながら悩みの全てがそこで解決することは無いし、それを期待されても対応が難しいと考えている。
■似ているが故・・・
同じことで悩んだ立場の人同士で、意見がぐるぐる堂々巡りになってしまうことを何度も経験してきた。
参加者同士が似ていると感じるが故、話も伝わりやすいと錯覚するのかもしれないが、(似たような性質を持った当事者たちが集まることによるジレンマだろうか?)
その視点から意見することは視野を狭くさせ、結果的に、経験者が未経験者に対して感じる「ある種のじれったさ」を解消するための「当事者間マウンティング」へと繋がりやすい。(実際他の団体では耳にした)
■なぜこうなってしまうのか?
おそらく結論に客観性が無いからだと感じている。
客観的、論理的な答えが無いと、経験者による経験則が全てとなってしまう。
要は個人の経験から総論を導き出しただけに過ぎず、それが悩んでいる相手の根本的解決に繋がるかどうかはまた別の話なのである。
■解決へのヒント
こういう時は見方を変えるために、物事を対岸から見ることのできる第3者からの”別の視点”も提示した方が良い。
この第3者は、極力客観的な立場で且つ専門性を兼ね備えた人物にお願いするのが妥当だろう。(例えば自分たちのようなグループで言えば、現役のカウンセラーだったり、大学で心理学を教えている方だったりという具合だ)
悩んでいる時ほど多角的な視点は必要だし、冷静に今立っている地面からできることを説明してくれる人物の助言はありがたいと感じる。
そのような人が身近に居なくても別に問題はない。
その時は自分たちで客観的だと判断できることを調べ、シェアし合えばいいのだから。
正解が1度で見つかることは少ない。
だから何度も繰り返して、その都度自分たちに合うように調整して行くのがいいだろう。
2、居心地の良い環境を作ったが故、抜け出すことを躊躇させる構造になっていないか?
コミュニティを、参加者の居心地の良い環境とするために努力することは評価できる。
だが参加者がその雰囲気に慣れてしまうと、ついついその居心地の良さに甘えてしまうことがある。
これは今まで我慢していたことを差し引けば、ある意味仕方のないことかもしれない。
しかし同質性は心地良いが、変化が無ければいずれ停滞をもたらす。
コミュニティに入ったことで感じられた同じ感覚の共有は、参加者に感動を引き起こさせるかもしれないが、もしかしたら単に今まで感じられなかったからその感覚が珍しかっただけだったのかもしれない。
■新天地を目指し続けて
常に新しい発見があるからこそ、感動が引き起こされると感じている。
十分休み終えたら、自ら再び立ち上がる意思を持たせるという視点も大事ではないだろうか。
参加者が前向きな行動を起こすためなら、こちらも積極的に手を貸していきたいと考えている。
それが私にとってコミュニティを作る本心なのだから。
3、お互いが何かを返し合っている関係を築けているか?
Give&Giveの関係性が重要であるということ。
ここは②とも繋がる問題である。
我々のコミュニティで言えば元々の性質が自助グループなので、基本的に自分のことは自分で助ける前提で運営している。
初めての参加者は、大抵何かに悩んでいるからこそコミュニティにやってくるが、それは別に大きな問題では無い。
しかし、仮に「自分」の求めているものを先に相手へ求めたとしても、実のところ十分満足できるものはあまり返ってこないだろう。
なぜなら単純な話、相手はあなただけのために生きている訳ではないからである。
どれだけ相手に「正解」を答えを求めても、もしかしたら遠回りになるだけかもしれない。
最終的な答えは、自分で何を受けれていくか決める以外に無いと考える。
■対等な関係で
あなたが誰かに感動を覚えたように、あなたもまた誰かを感動させなければコミュニケーションはフェアではなくなるだろう。
負担を偏らせるコミュニケーションはいずれ破綻する。
コミュニティの動きを良好に流れるようにしたいのであれば、あなたも与える側となるしかない。
結果として、お互いが相手のために行ったことに感謝を示すことができればそれでOKではないだろうか?
■具体的にお互いを感動させるコミュニケーションとは?
例えば一つ考えられることは、お互いが「これはあなたと私たちの関係のために役に立つ」と真剣に考えたことを、会うたびに紹介し合うという関係を続けることであると思う。(もちろん、相手が嫌がれば相手のために引っこめるという冷静な視点も必要となるだろう)
私は、相手への真摯な想いに基づき、お互いが真剣に相手を想い考えを述べ会う関係というものは、両者の関係に大きな信頼を生ませることになると信じている。
だから、これがコミュニティを長続きさせるための大きな要因となるであろう。
よく聞くアフリカのことわざで
早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなと行け
という言葉がある。
あなたの今やりたいことはどうだろうか?
どちらかが正しいということはない。
その時優先したいことのために全力を注げるよう、日々準備をしておきたい。
4、ティール組織に学ぶ
私が最近はまっている考え方に、ティール型組織というものがある。
人類の進化を組織の視点で捉え直した興味深い内容だ。(詳しい説明はまた次の機会に)
その進化する組織に必要とされる重要事項は
①セルフマネジメント(自立/自律的思考、自主経営)ができている人たちの集まりであること
②全体性(ホールネス)→メンバーそれぞれが、どんなときも仮面を付けず自己開示できていること
③コミュニティの存在目的と、行動の妥当性が一致していること
と提示されている。
全てこれまで自分がコミュニティをやる上で重要だと感じ、実践しようとしてきたことだ。
実際の順番としては
②語り合いの場で自己開示の練習+参加者同士の相互信頼関係の構築
↓
①相手から与えてもらった自己肯定感を、自立した精神へと変化、成長させる+自己学習と研鑽をし合うことで、心をより成熟させる(結果的にセルフマネジメントをできるようになったメンバーがそろう)
↓
③セルフマネジメントをできているメンバーが、お互いの自己を越えた大きな存在目的の達成のために、相互信頼関係のもと協力し合う(→団体におけるビジョン、ミッションの達成のための同志)
といった形である。
この本を読むにあたり、自分たちの提唱したいモデルを肯定してもらうメッセージを読み取れたことはとても嬉しかった。
これからの新しい組織を考える上で、非常に示唆を与えてくれている内容である。
まだ途中だが、読み終えた段階でいずれきちんとまとめにして紹介したい。
おわりに
今回の話題は、何も悩みを抱えた当事者コミュニティだけで起こる問題ではないと考えている。
どんなコミュニティも、風通しが良くなければ自然と停滞していく。
前に進み続けたいのであれば、自分の所属するコミュニティにおいて、参加者たちがお互いのことを常に想い合っている関係を続けられているか、振り返る機会を積極的に持つといいのではないだろうか。
今日のところはこれまで
あなたの居場所が、素敵なコミュニティになることを祈っている。
何らかのアクションをいただけると、一人で記事を書いてるわけではないのだと感じられ、嬉しくて小躍りしちゃいます。