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ほん(じゅういちがつまで)

もう気がつけば、11月が終わる。師が走るくらい忙しいと聞く、12月がもう目の前だ。
密かに、毎月書くことを目標にしていたのに、あれよあれよと今年も終わってしまう……。
毎年、「何もしてないな」と思っていた気がする。まあ今年だって大したことしてないけど(笑) でも「何かしよう」に意識的だった年ではある。noteがんばろうと思ったり(結果はあんまりだったけど)、資格を取るために学校に通いはじめたり、、
どうせ自分ではない誰かになることなんてできないから、私は私のままで変わっていければいいか。なーんて、思ってみたり。

さっ、もう忘れてしまったものも多いだろうけど、覚えてる本のことだけでも振り返ってみようかな。よかった本のこと、残しておかないと、それも忘れちゃうから。

『まとまらない言葉を生きる』新井裕樹、柏書房

Twitterで見かけて絶対読みたいと思った。帯文がめっちゃいいんだよ。

 誰の人生も要約させない。あなたのも、わたしのも。

私が学生の頃は、「この部分を要約しなさい」って、テスト問題が国語に必ずあった。気がする。今はわからない。
ただ、今の社会にだって、映画の内容を3分にまとめた動画とか、本のエッセンスだけまとめた紹介とか、そーゆーサービスがあるのだから、ぐだぐだと長い物語を簡単にまとめること(または能力)は需要があるのだろう。

何かをゆっくり味わうって、面倒くさい。
私は、本はじっくり読めるけど、映像に時間を取られるのが苦手だ。気持ちはわかる。
でもだからって、物事を簡単にわかりやすくまとめてしまうことは、怖いことだと思う。言葉にできない曖昧さを、自分が抱えているのを知っているから。言葉にならないものが「ない」ものになってしまうのは怖い。

私たちは似たようなところもたくさんあるけれど、やっぱり、ひとりひとり違う。その人生を一括りになんてできないし、絶対に許してはいけないと思う。

曖昧さ、言葉にならなさを、もっと大切にしていきたいと思った。
自分の大切な人や世の中の悲しいことにだって、自分からは見えない背景がある、ということに考えが及ぶ人間でありたい。

『無意味とスカシカシパン 詩的現象から精神疾患まで』春日武彦、青土社

全く明るい本ではない(笑)でも、暗さというか諦念というか、そういうものが泥のように重いわけではなく、諦めてるけどさっぱりしてるのがいい。落ち着いた本。

いろんな本を読んでいて(そういう傾向の本を好んで手に取っているというのはある)、意味って思っている以上にしっかりしてない、という気がする。
ま〜自分の気持ちひとつ取ってみたって、グレーな部分ばっか。
家族のことを考えると特に。母親とは友達みたいな親子に絶対なれないけど、かといってじゃあ縁を切りましょうとなれるかというと、これまたむつかしいのである。そこには白と黒ではわりきれないものがある。だから家族ってちょー面倒臭いんだろう。

この本を読んでて、無意味を味わうというか、それが当たり前というのが気持ちよかった。

個人的に1番の発見だったというか、目から鱗だったことを話させてほしい!笑
人間は、基本的に鬱状態が自然というはなし!

私はPMSが始まると自分でも自分がよくわからなくなる(笑) 月経期間を含めると大体月の2/3は調子が悪いことになり、普通なのが月の1/3しかない。「もうこんな人生バグだ!!!」と半ばやけくそに思っていた。
だけど、基本が鬱なら、生理後は普通なわけではなく絶好調なのか、と思ったら気が楽になった。あれは普通じゃなくて調子がいいんだ!な!!!

こうやって折り合いをつけて生きてゆくしかない。

『ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと』村上靖彦、中央公論新社

ケア、流行ってるよね。私の中でも流行ってる。世の中に、足りないんだろうね。
『居るのはつらいよ』を読まなかったら、ケアとかセラピーとか興味持たなかっただろうなあ。

今まではわりとケアの概要というか、ふわっとした話を読んでいた。(きっとそういう語り口にならざるをえない側面があるんだろう) その上でこの本を読んだから、なんとなく知っていたことが、ばちばち言葉になっていって面白かった。

ケアにおいて話を聞くのが大切だし、難しいって書いてあって、そうよなぁって。
今はみんなが発信する時代だし、せかせかしてるし、誰かの話を聞く余裕(時間も心も)なんて持ち合わせていないように感じる。

それでもやっぱり、わたしは、もしかしたらを考えてしまう。だったらせめて、目に映る人にだけでも優しくありたい。それは、きっといつかあるかもしれない私をも救うことになるはずだから。

『モモ』ミヒャエル・エンデ、岩波書店

せかせかしている、と言えば、モモの世界の人たちも随分せかせかしていた。

幼い頃は全く本を読む習慣がなかったので、有名な児童文学とか全然読んだことがない。この歳になって初めて読んだ。おもしろかった。何年も前に書かれた本のはずなのに、今にも当てはまるから不思議だよね。。

気が付けば1年が終わってしまうくらいだから、きっといつの間にか歳を取って死んでしまう。そう思うと、時間は有効に使った方がいい気がする。でも、時間を有効に使うとはどういうことなのだろうか。何においても「効率」が重視される。そこでは、無駄、は悪いことになる。意味のあることばかりを求められる。息苦しい。そもそも私たちの生に意味、なんて明確なものがないのに。

無意味や無駄も愛していたい。そこには小さな声があるはず。明確な言葉では掬いきれない何かが。

『野の医者は笑う 心の治療とは何か?』東畑開人、誠信書房

頭良い人の書く、へんてこな文章っておもしろいよね!! まあ、へんてこに書いているだけで、書いてる内容はマジで、本人は相当辛かったんだろうなあとも、読みながら思っている。苦い経験をへんてこにおもしろく書けるのはすごいことだよね。

野の医者は笑う、に出てくる治療者もみんなへんてこだ。笑っちゃうくらいにありえない。本人もめちゃめちゃ笑ってたりする。テンション高い。
そうやってなんともならん人生を、なんとか回しているんだろうか。科学的に(?)正しいことが、人を癒してくれるとは、やっぱ限らないなあ、と思う。その辺も曖昧だし、本人が納得するのがイチバンなのだろうか。正しさだけじゃ人って救われない。正しさが自分を傷つけることだってある。ああ、難しい。

祖父がどうやら「がん」らしくて、怪しい治療を試している。そんなんにお金使うくらいなら、とか色々思ってしまうけど、結局のところ他人の人生だから「何も言えないなあ」と黙ってしまう。怪しいことだって本人もうっすらわかっているだろう。それでも、手を伸ばしてしまうなら、何が言えるのだろうか。何か言わなければいけないのだろうか。わからない。
病気がなくならずとも、祖父がそれで救われるなら、まあいいのかもしれない。いや、でも、うーん。生命のことで人を騙してお金儲けしてる奴のことは許せない。
正しい間違っているは、一概には言えない。祖父本人が納得できる選択をできていることを願う。

『夜明けには優しいキスを』凪良ゆう、フランス書院

これは納得できるほう、自分に健やかなほう、選べた人たちのおはなし、という言い方もできるが、すまんテキトーに言った。

主人公は、間接的とはいえ、人を追い詰めてしまったことにめちゃくちゃ後悔を抱いて生きている。
人ってさ、相手を思ってるようで思ってない発言とか行動しちゃう時あるじゃん。気を遣って嘘言ったり。本当はパスタが食べたいのに、相手の顔色伺って嫌いな中華食べたりとか。そーゆーの。
主人公も自分が許されない人間だって思ってるから、幸せになれる選択肢を自らばんばん捨てていく。「誰も幸せにならないからやめなよ!」って読んでて叫びたくなる(笑)
だけどさ、相手がすごいんだこれ。それをね、見抜いてくれるんだよ〜!
好きな人に嘘とは言え、嫌いって言われてみ? 無理じゃん! 人の気持ちなんて確かめようがないしさ~。それをさ、「嘘でしょ」って、自信を持って言ってくれるんだよね。
自分が見てきたその人を、その瞬間信じ抜くのよ。目の前の言葉じゃなくて。本当にそれがすごいな〜って思った。

あと、本編の終わり方が、長い夜が終わりを告げ、陽がさすようでとても美しくて好きでした。凪良先生の文章は美しいや。

『津軽』太宰治、新潮社

「青森の記憶が薄れないうちに読んだほうがいいよ」
と元カレに言われたのは、何年前だっけ。

冬の青森へ、卒業旅行として行った。太宰治生家の床が異様に冷たかったことを覚えている。ガイドの人が丁寧な説明をしてくれたんだけど、それどころではなかった。本当に冷たかった。スリッパないと無理だった。
あれからもう両手を使わないと数えられない程度には年月が過ぎた。もう売ってしまおうか、と思いつつ、なんとなく読み始めたら、びっくりするぐらいおもしろかった。(別に青森のこと忘れてても楽しめた。覚えてても楽しいだろうけど)(性格が悪い)

昔の旅は大変そうだなぁと思った。すげー歩く。すごく疲れたろうなあと思ったし、今ほど気軽に実家へ帰るなどできなかったのだろうなあ。

そしてもう、そんな風に書かんでもと言いたくなるくらい、素直すぎる感想が結構な頻度で書かれている(笑)最早素直過ぎてきっと素直ではない、というくらいに。こうなんでも書いてしまう人というのは大変だったろうなあ。

さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。(p.221)

この一文に痺れた。ああ、こんなこと言いつつ、この人は死んでしまったのだなあ。

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『神様』川上弘美、中央公論新社

これもずっと持ってて、もう売ってしまおうか、なーんて思って読んだらとてもとても面白かった本。

不思議な世界観なんだけど、それは一応不思議なままで、でも否定することもなく、ただ不思議として書かれていて心地がよかった。

「星の光は昔の光」が特に好き。
「ニンゲンフシン」を「意味知らないけど、うすうすわかるよ」というえび男くん。その「ニンゲンフシン」を「かなしいばかりでいやなんだもん」といい、やめたえび男くん。
えび男くん、愛しい。

きっと私も持ってたような何かがそこに描かれてて、愛しく、切なく思うんだろう。

『幾千の夜、昨日の月』角田光代、角川

これまた、読まねぇなあ売ろうか、と思って手に取ったらおもしろかった本。夜や月に関するエッセイが一冊にまとまっている。

私は日本の夜と月しか知らないんだけど、他の国の夜や月が描かれてて、なんかすごくよかった。旅したいな〜って思った。砂漠で見る、アホほどでかい月見てみたい。いつか「落ちる」と不安になるほどの夜空を見たいと思ったことを思い出した。

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最近、日中でも月見られて良いよね。あの白い月、なんか特別な感じがして好きなんだ。

『人生ミスっても自殺しないで、旅』諸隈元、晶文社

旅がしたいといえば、この本を読んだときも旅がしたくなった。
先に書いた『野の医者は笑う』とおんなじで、きっと本人はすごく絶望していたろうに、なぜか笑える本。そういう人たちの書く本って、元気もらえるよね。とんでもねぇのに生きてたりするからさ。自分もなんとかなるかもなーって。先に書いた『野の医者は笑う』とおんなじで、きっと本人はすごく絶望していたろうに、なぜか笑える本。そういう人たちの書く本って、元気もらえるよね。とんでもねぇのに生きてたりするからさ。自分もなんとかなるかもなーって。

引用したいが、付箋も貼ってないのでどこに書いてあったかもわからないが、「人はふらっと死んでしまうんだろう」みたいなことが書かれていたと思う。
なんとなく、そうなんだろうな、と思う。ふいに、とかそういう、なにかのタイミングで、ひとはたまたま死んじゃうんだろう。表面張力でぎりぎり保っていたものが、誰かに優しくされなかったとかそういう何気ない水滴がひとつ落ちて、溢れちゃうみたいに死んでしまうことがある気がする。

自殺でもしようかと旅に出た著者が、「自殺するな」という目次に落ちつくの、いいなあとしか表現できないんだが、どうしようもなくいいなあ。

『100年後あなたもわたしもいない日に』文:土門蘭、絵:寺田マユミ、文鳥者

たまたま死ぬと言えば、この詩集の中にもそんなような詩があった。
読んだ瞬間好きだなって思った。生きていて出会えるのって、奇跡だよね。

これは、藤原印刷さんのイベントで、装丁が素敵すぎて買った。電子は楽だし、場所も取らないけど、紙の本ってやっぱいい。細かいところの楽しさがある。不便だからこその良さが。

『少年たちの終わらない夜』鷺沢萌、河出書房新社

河出文庫ベストオブベスト。今回もまんまと買ってしまった。斉藤壮馬のこと特別好きなわけじゃないのに買っちゃうのよ。なんで? 実はすごく好きなの?

すごく好きなタイプのお話は詰まってた。こういう文章や話を人はみずみずしいと言うんでしょうか。。。

少年たちのひと夏が描かれている。
夏ってなんか特別だよね。長期休みに成長するイメージなのかな。どれもこれも「この夏しかない」みたいな話だった。その一回性がくらくらするほど眩しくて、でも忘れちゃうんだよなって思うと無性に切なくて。そんな儚い愛おしさが詰まってた。
忘れちゃうだけできっと残るから、終わらない夜なのかな、とか考えてみたり。

『この夏のこともどうせ忘れる』と「チワワちゃん」を思い出した。こちらも素敵なので、気になる方は是非。

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まだ全部じゃないし、というかもう忘れてたり、手放した本もあるので、そもそも読んだ本については書かないんだけど、ひとまずここまで。

ここまで見てくれた人、私の些細な話を聞いてくれてどうもありがとう。
寒いのであったかくしてね。

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