変化の日々

こんばんは、イナモトです。

人は変われない。
人は変われる。

難しいですね。
何をもって変わった、になるのか?
何が出来てないと変われてないのか?

私はずっと変わらないを
選んでいた人間。無意識に。

顕在意識だけで、変わろう!
そして、やっぱり変われない!
それを繰り返していたような。
頭しか使ってなかった。


それで言うと冒頭に戻り、
私は最近変われている。
もちろん劇的な変化は生活にはない。
変われていない状態にも見える。

んー、説明が難しい。

確実に今までの私が
解けていると言う表現が良いのかも。

1人でいる時は、最近は
頭(顕在意識)よりも
心(潜在意識)を使って
考えたり、行動したり、感じることが
出来ている気がする。

どれも新鮮に感じる。
見るもの、聴くもの、触るもの、
心がころころと動くのも感じる。
そんなことを感じている時、
私は自分が人間であることを
忘れているような感覚を持つ。
身体だけ人間で、心は遥か昔の
自分の姿が乗り移ったかのような。
自分だけど、人間の形以外の自分。

逆に誰かと会ってる時は
潜在意識は見えなくなり
顕在意識が発達する。
元の自分に戻る感じ、
今まで通りに戻る。

でも今は、その元通りに違和感を
別の自分が感じるのだ。
だから人と会う、仲のいい友達とも
会う時間を過ごす自分は
心の底から前のようには
その時間を楽しめなくなった。
楽しめない?というより、
集中出来なくなってしまった。

今まで頭だけで楽しいを
感じていたんだろう。
私はどういう人間か?
私は何を今日したいのか?
そんなことを頭だけで判断し、
選んでいたんだろう。


自分のモードが
確実に変わったのだ。

自分が自分で分からない。
人間ではあるが、人間の自分ではなく、
別のものの何かである。

今まで私が大事にしてきた自分は
もう遥か遠くに捨ててしまった。
拾いたい、迎えに行きたい気持ちも
もうない。むしろ、去ってくれて
ありがとう今までの自分、という具合だ。

自分に対しての執着や、
自分を縛りつけていたことに気づき、
自らの手で解いていくことが
楽しくてしょうがない。

これは目に見えない作業だが、
私は日々、玉ねぎを剥くように、
バラバラバラと私を剥がしている。

時には手のひらで転がしたり、
泥だんごを作るように砂をかけて
さらさらな表面になるように
磨きをかけたり、
たまには心臓ごと水洗いしたり。

そんな風に自分の内面に
自分の手を使って触れている。

そんな感覚、今まで生きてきて
はじめてのことなんです。

分からないけど、自分が新鮮なんです。

これを読んだ人は、
私をおかしいと思うだろう。
でも、この感覚は確かなんだ。

洗脳されたか?変なもの見過ぎたか?

不思議の嫌な気持ちではなく、
心地よさが勝つのだ。

いつか、今日を振り返って、
あの時の自分はどうだったか。
客観的に捉えれるのだろうか、
この不思議な心の変わり模様を
何か答えを見つけれるのだろうか。

私はどうなってしまうのだろう。

もっと心の変化に
身体の自分をのせていきたい。

もっと心の変化に合わせて
人間界の自分の時間を動かしたい。

私はもっと自由なんだ。

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