休職

今日から休職2ヶ月です。

3月、4月に睡眠に影響があり、
朝方3時か4時に目が覚める。
いっときは睡眠薬で治る。

5月 2日間ベッドから起き上がれず
歩いても歩きづらい。
なんとか近所の内科でPCR検査を受け
コロナの疑いは晴れる。
ただの風邪や熱中症ではない。
もうこれはやばい。
土曜日に当日に、行ける精神科を
ギリギリの気力と判断力で
必死に探した。
一件めはうちは診断書が書けないから、
と女医さんに門前払いをされ、
なんとか夕方行ったクリニックて、
適応障害 休職1ヶ月の診断書。

会社に報告するも、
会社に出づらくなるんじゃないか?
病院行ってすぐ診断書が出るなんて
ヤブ医者なんじゃないか?

そんなこんなで、人事部には報告しない
という方向性で、私の初めての診断書は
水に流された。

あ、もう、うちの部署はだめだ。
私、また体調崩すまで
むしろ死ぬかなんかするまで
このままずっとここで働かなきゃ
いけないんだ。もう終わった。

それから8月まで、
私はセルフコントロールに力を入れ、
本を読んで、認知について、
脳の仕組みについて、
自分の感情に気づくことについて、
今ここの意識、自分軸を磨き
自分を律することを頑張った。

自分を作ろう、育てよう。
強く、しなやかに。
他の人に影響を貰わないように。

仕事もそれからはたまに半休を取ったり
しながらなんとか継続。

一緒に仕事をしていた他社の担当者さんも
辞めてしまった。
ほんとうに拙い会社で、情けない会社の
せいでごめんなさい。

でも、相変わらずペアの上司とは
上手くいかない。

相談に行っても、忙しいから、と
煙たそうな顔をされたり
それ後でいいから、そんなこと。

なにか分からないことがあれば、
はたまたミスや勘違いをすれば
上司は嬉しそうに揚げ足を取る。
お前そんなことも分からないのか?
普通はな?常識だよ?

肥満のせいで脚が組めず、
膝の上に90度で乗ったもう片方の脚の
革靴のかかとがいつも天を向いていることが
悔しくてたまらなかった。

部署からも、相変わらず
影武者のように使われていた。

私は人に仕事や頼まれごとを受けやすい。
誰も知らない、誰も見ていない、
その書類があるのかないのかも
みんな分かっていないような仕事まで、
私は気づいてしまっているがために。
会社の監査のために、
毎年毎年部署の尻拭いをしている。
もちろん誰もそのことを知らない。

私は気付けば中堅どころ。
それなりに1人で仕事を
できていないといけないはずだが、
一時、メインの部署とは違う仕事を
していたこともあって、
今回の案件はほぼ初めての仕事だった。
9割初めて、無知の状態で。

この業界での知識は私は皆無に等しく、
卒業したての大学生と
ほぼ同じ人間である。 

なぜ、そんなやつに
何十億の案件を担当させるのだ。

先輩や後輩はそつなく仕事してるじゃないか。
みんな頑張ってなんて分かってるよ。
みんな精一杯やってるよ。
私だけ、なんて思っていない。
でも私だけ、なぜこんな上手くいかない?

他部署のおしゃべり相手の人は、
私を目の前に、
鬱とか甘えだよなあ?笑っちゃうよな〜。
お前、早くいつも帰ってさ、
やる気ないんじゃないの?どうなの?
資格も取らないしさ〜どうなのよ?

親しい人ですら私の敵であった。

今与えられた仕事だけは止めちゃいけない
と思って自分のことは諦めました。
資格の勉強できなくなってしまって。

お前誰の判断だ?
資格の勉強辞めるって誰が言った?

部長も私の敵だった。


話し聞くよ、サポートもするよと
言ってくれた人。
もちろんサポートも何度もしてくれた。
でも、部長の後任の人だから
その部署の尻拭いを丸投げしてきた。
何も分からないのに、私にやっといて。
メール転送したからやっといて。
私はゴミ箱ではない。

5月以降、人と関わるのが嫌で、
友達とも家族とも距離を置いていた。

私とその他の人間との間は
深い谷があるような感じで、
みんな近づかないで、こないで、
お前ら全員くるな!!!!という
気分でいっぱいだった。

でも、セルフコントロールのおかげで
友達に自分の仕事の悩みを
話せるところまで、
その谷に橋をかけることができた。
何人か、に話しができた。

友達は私の状況を聞いて絶句だった。
電話越しに少し涙声の人もいた。
泣きたいのは私である。


金曜日。私は朝起きれなかった。
それでも仕事に行かないとと思い、
病院に行ってから行きますと言った。

気持ちが落ち着いて、途中駅まで行った。
改札まで歩けばいいのに、
改札が出られなかった。


土日が過ぎて月曜日。
会社に着く、席に座る。
限界が来た。
平常心でいられない、何も考えられない。
人と上手く話せない。

部長に、金曜日は休んで
すいませんでした。あの後で
面談お願いしたいんですが。

声が出なくてかすれかすれになり
あ?何言ってるか聞こえない?と
半ギレされ、
俺このあと打合せなんだよな、
と。私はこの時が本当に限界だった。

その後も席に座っていると、
ぼーっとしてパソコンも触りたくない、
ペンも持ちたくない。
大きいゴミのような状態でそこにいた。
もうだめだ、自分が戻せない。

電話帳を見て、この不調を
誰に言って助けて欲しい。
でも部長はだめ、部長後任も外出。
後ろのペアの上司は涼しい顔。
他部署は…?!人事部?!
でもうちの人事部の人間は
人事らしからぬ人だ…。
誰にも助けてと言えない。

私はパニックになり、
フロアの外の廊下に出た。
エレベーターの前で座り込んでしまった。
みんなが土足で歩く汚い床に
伏せてしまった。

立ち上がったその時、
5月の時も1番親身に話を聞いてくれた
室長が出てきた。

あの、、、朝からおかしいんです!
室長どうしようどうしたらいいか
分かんない!!助けて下さい!!、

私は泣きながら訴えた。
怖い思いを室長にはさせてしまったと思う。


その後からの1日は長かった。
室長は1日面倒を見てくれた。

休職2ヶ月があっという間に決まり
今日がその1日目である。


私は限界ということみたいだ。
周りの人も限界は来ているはずだ。
だが、私だけ先に限界を認めてもらった。
そんなことでいいんだろうか?
私と同じように働く生真面目な
後輩の顔が浮かぶ。

私は自分の限界が分からない。
死ぬまでが限界、ほんとに動けなくなる
までが限界だと思っていた。
だってそうしないと会社は
休むこと、仕事を放棄することを
認めないと思っていたから。

今いろんなことが浮かぶ。
書いていたらキリが無い。

ひとまず、私はこれで良かったんだ。
鬱は甘え、休職は甘え。
それでもいい。でも分からない。

何かに許された気持ちもあるけれど、
でもそれを心から喜べない。

noteを書けるから、
私はまだいけたんじゃないか?
まだ限界じゃないか?と思うが、
室長が運良く救ってくれたと、
感謝と申し訳なさを噛み締めるしかない。


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