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11月1日 本の日

「本を読むことは、一字一句そのまま君の生きる力になるよ」
 そう教えてくれたのは、小学生の頃の保健室の先生だった。


 僕は体が弱い。当時も運動と言う運動は出来ず、しなくとも気を抜けばクラリと倒れてしまうような体質だった。

 だからもしかしたら教室よりも頻繁に通っていたのは保健室かもしれない。保健室登校し、そこで自習をすることが僕の日常のヒトコマだった。

 そこには物静かで口数も少ない、聡明そうな男性の保健教諭である高橋先生がいた。

「ずっと体を寝かせているのも疲れてしまうだろう。これでも読んでいなさい」

 そう言って最初の1冊を渡してくれたのは、小学校に入学して1週間が経過した月曜日だった。先生は、口角だけを少し上げるようにして笑う。

 いつも読む絵本とは違い、渡されたのは大きくなく、薄くもないし、表紙には重厚感が漂う本。小学1年生の男子に重厚感などという言葉がわかるはずもないので、当時の率直な感想としては「つまらなそうなぶあついほん」だ。もちろん保健室に他に娯楽と呼べるものはない。友人との楽しい掛け合いやドッジボールしようぜ!なんてこともないので、言われるまま読み始め1週間かけて読み終えた。

 2週間目の月曜日に保健室に向かい、読み終えたと高橋先生に告げる。すると先生は当たり前のように2冊目を貸してくれた。やはり口角だけを少し上げて笑っていた。またも大きくも薄くもない絵本ではない本を手に取り、面白くなさそうだなと、僕は笑ったのを覚えている。

 斯くしてしばらくは1週間に1冊ペースで本を借りては読んだ。しばらくすると活字のみの読書に少し慣れたようで、週に2冊読めるようになり、3冊、4冊と読書ペースが上がっていった。高学年になると週に5冊のペースで読み終えるようになっていた。

 その頃にはすでに読書にハマっていたのだろう。保健室には娯楽などないと思っていたが、むしろ保健室には娯楽しかないとさえ思うほどだ。
 
 そうして本を読み続けた僕に、小学校を卒業するとき、高橋先生が言ってくれた言葉が最初のそれだった。先生の言うとおり、読み終えた本の一字一句が僕の血となり肉となっていることを30年近く経った今も、強く実感している。

 小学校を卒業し、中学生、高校生にもなると保健室での自習回数はどんどん減った。けれど本を読む速度は少しずつ上がっていき、年間の読書量はほとんど減ることなく僕は大人になった。

 嬉しいときや悲しいとき、寂しいときや怒れるとき、自分がどうしたら良いのか、自分は誰でどこに向かえばいいのか、いつだって導いてくれるのは本だった。僕の血と肉となったそれらの本の一字一句は、僕の全てを造り上げていたとさえ思う。そして、その造り上げられた僕は自分でも満足する出来なのだった。


 あのときの先生と同じように、口角だけを少し上げて笑い、僕は最初の一冊を差し出した。

「本を読むことは一字一句そのまま、君の生きる力になるよ」

 息子は、やっぱり少し困ったような顔をしてそれを受け取った。僕は彼の未来を想い、どこか安心したのだった。

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【今日の記念日】
11月1日 本の日

全国各地の老舗書店で結成された「書店新風会」が制定。読者に本との出会いの場である書店に足を運ぶきっかけの日としてもらうとともに、情操教育の一環としての「読書運動」の活性化が目的。日付は11と1で数字の1が本棚に本が並ぶ姿に見えることと、想像、創造の力は1冊の本から始まるとのメッセージが込められている。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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