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4月19日 みんなの保育の日

(※いつもより長いです。約2400字)


 日は暮れて、時刻は19時を回っている。私はようやっと味の染みたおでんに再度火を入れて、同時に電子ポットの電源をONにする。

「すみません」

 遠山さんはしきりに申し訳なさそうに謝っている。その横で葵ちゃんはころんと寝ころび、目元を見るともううっとり眠ってしまいそうである。隣の部屋に布団を敷いておいて良かった。

「とりあえずね、こんなことは誰でも出来るし、何の負担もないんだから気にしないで」

 カチッとなったポットのお湯でお茶を入れ、一つを彼女の前に出した。湯気に隠れて、彼女が泣いているのか確認できないでいる。


 ついさっき、1時間ほど前。
 インターフォンが鳴り、出ると隣に住む遠山さんと葵ちゃんが立っていた。

「少しだけ、この子を見ていてもらえませんか」

 薬局に薬を取りに行く間だけ、とのことだ。葵ちゃんの発熱で病院を受診し、ただの風邪とのことで薬をもらって帰宅しようと思ったら、待ち時間が1時間近い。加えて葵ちゃんも眠さとだるさからぐずり始めたために帰宅したと言う。私は一も二もなく快諾した。

 葵ちゃんは風邪のせいか、自分の家ではないせいか、とてもおとなしく夕方の子供番組を見ていた。時々、好きな食べ物やキャラクターなど質問をすると嬉しそうに答えてくれたので、ぐったりするような風邪ではなくて良かったと我が子ではないけれど心底安心した。


「遅くなりました」

 彼女は45分ほどで帰宅した。

「葵ちゃん、静かに待ってたよ。偉かったねぇ」

 私が言うと、彼女はぽつりぽつりと話し出す。

「そうなんです、とてもいい子で。私はそれに甘えてばかりで、寂しい思いをさせてしまって入るんだと思います」

 自虐のように笑う。ならば、と私は同じように笑顔で彼女を夕飯に誘った。

「葵ちゃん、おでん好きなんだってね。なんと、今日の夕飯は偶然にもおでんなの。よかったら食べていかない?」

「いえ、でも」

「旦那さんはもう帰ってくるの?」

「いえ、いつも終電間際です」

 彼女があきらめたように言い、私は彼女を招き入れた。

「じゃあ、決まり。どうぞ入って。夫は出張でいないし、もう子供も独立しているから気を使わないでね。葵ちゃんも少し眠そうだから早く食べて早く寝ちゃいましょう、あなたもね」

 半ば強引に部屋に入れたのだが、彼女は優しくそれを受け入れてくれた。慌てて作ったおでん種にうまく味が染みていますようにと密かに祈る。

「美味しいです、すっごく」

「あら、よかった。たくさん食べて。葵ちゃんはどうかしら。食欲はあるかな」

 私が聞き、皿には大根とたまご、こんにゃくを取っておく。

「私、おでん大好きなの。たまごとこんにゃくも好き。でも大根は嫌いー」

 いたずらに舌を出して私に言う。その子供らしい可愛い表現に私が笑うと、彼女が慌てて口を開く。

「葵!大根も食べられるでしょ。ちゃんと食べて」

「いいのよ、お野菜なんて好きじゃないわよね。今日は特別に好きなものだけ食べちゃいなさい」

 私も同じようにいたずらに提案する。そして今日はお昼過ぎに保育園から連絡が入り、葵ちゃんをお迎えに行ったと聞いたことを思い出す。

「保育園では給食食べたんでしょう?」

「はい、完食だったみたいです。その後のお昼寝の時間で熱を計って、それで」

 それを聞いて私はなお安心し、遠山さんに言う。

「保育園で栄養バランスのとれた食事をちゃんと完食しているんだから平日の夕飯の1回くらい適当でもきっと大丈夫よ」

 もちろん、親の考えにもよるけれど。そう付け加えた上で私は伝えた。彼女は、また悲しそうな顔をする。

「そうですね、保育園でちゃんと見てもらっているんです。食事も、運動などの日常も。病院に行けば、キッズコーナーでその職員さんに遊んでもらっているし、土日も児童館に行って地域の方と一緒に遊んだり。私だけと接する時間なんて、とても短い」

 そう言い、やっぱり下を向いた。私は彼女の肩にそっと触れて伝えた。

「家族がたくさんいるみたいで、葵ちゃんは幸せ者ね」

 私がそう言うと遠山さんは、ふふふ、と笑って泣く。そんなことは言われたことがないと言った。

「あなたはとても良い母親よ。だって、世の中に出たら嫌でも自立しなくてはならない。でももちろん自分1人だけで生きられるわけじゃないから、うまく周囲の助けを借りなきゃならないの。それは誰でも一緒だわ」

 遠山さんは小刻みにふるえる唇や、潤んだ目元をそのままで聞いている。

「人に助けてもらう、その姿を見せることも親の大切な役目だと思う。あなたはそれがちゃんと出来ている。だから、葵ちゃんが大きくなったとき、苦しいときには誰かに助けてもらうっていう選択肢がすでにあるってことよ。これはとても強い武器になると思う」

「でも、やっぱり私は葵に寂しい思いを」

「それは本人にしか分からない。でも少なくとも私は寂しくなかったし、さっき言ったように、私にはたくさんの家族がいると感じていてとても幸せだったわ」

 私は、自分の幼少期を思い出しながら彼女に伝えた。私の両親も共働きで日々忙しくしている人たちだった。

「おかげで1人で生きている感覚はないし、周りへの感謝も身についた気がする。それに、同じような人がいたら助けたいと思うようになれた」

 彼女は隠すことなく、ハラハラと涙を流し続け、葵ちゃんは隣の部屋の布団ですでに眠っている。

「母との時間は貴重だったからこそ、私は母を大切に思っている。葵ちゃんと同じような境遇の人はもちろんいて、私もその1人。その1人が幸せであると言う事実はここにあるのだから、あなたは胸を張っていいのよ」

 おでんは冷めてしまった。でも、容器に移して彼女に持たせようと思う。また、容器を返しにここに夕飯を食べに来るといいなと思いながら。


 人は1人では生きていけないのだから、そんなに1人で頑張らなくて良い。みんなで育ててみんなで育てばいいのだ。

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【今日の記念日】

4月19日 みんなの保育の日

保育や子育てに役立つ遊び情報サイト「ほいくる♪」を運営する子ども法人キッズカラーが制定。子どもたちの育ちにとって大切な乳幼児期に、近くにいる大人が子どもへの理解を深め、保育を楽しみ、その在り方を見つめ直し、自身が育つきっかけの日とするのが目的。日付は4と19の4を「保=フォー」、19を「育=いく」と読む語呂合わせから。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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