7月13日 お父さんの日
こういうのも仕事の癖になるのだろうか。
質問をされるとつい、結論をすぐに答えてしまう。後には、その結論に至る経緯や理由などの背景を説明するのだが、今朝はそれも要らなかったので端的に『幸せだ』と言う結論だけを伝える。
相手は7歳の長女だった。今朝受けた質問はこうだ。
「子供を育てるのは大変なの?」
そう聞かれ、私はすぐに頭に答えを浮かべた。
『大変なものか、幸せなことだ!』
そのまま口に出そうと思ったが、妻は何か考えているようなので、その場では言わないことにした。彼女は、ええ、とか、そうねぇ、などと言いながら何かを考え、そう言えばキウイフルーツを出していなかったと言って台所に向かっていった。すると今度は次女がおトイレと言い出し、お世話がブームの長女が連れ立ってくれる。ぽつん、と私はその場に残る。キウイフルーツを取りに行った妻はやはりまだ台所で考えているようだ。
ならばと思い、先にテーブルに戻ってきた次女と長女が再び椅子に座るとき、私は長女に返事をしたのだ。子供を育てることは幸せだと。
母親としての返事は、きっと彼女が必死に考えているのだろう。私は私で答えておいた。
育児は『幸せ』なだけでは決してない。
大変かと言われれば大変だし、しんどい。でも『大変』かと聞かれて大変だけを認めれば、何とも後ろ向きな返事になってしまわないか。だから、私の結論として答えるのであれば色々ひっくるめて、幸せと言う一言である。
妻はどう答えるだろうか。
おそらく彼女のことだから、幸せなことだと思っているものの、ただそれだけを伝えるには『大変』が多いのも事実であり、その加減を考えていることだろう。彼女は色々なことを丁寧に子供に説明しようとするのだった。そして私はそんな彼女が好きなのだった。
なんともバランスが良いのだ。私はこう、端的になんでも話してしまうが、彼女が子供に説明するときは、筋道立てて、ポイントをまとめたりして分かりやすくその意味を説明する。そして結論に導く。
私の足りないところを補ってくれるようなそんな妻が好きなのだ。
その妻が子育てが大変かどうかを懸命に考えているのなら、私はそれを見守るしかないと思っている。おそらく、いつものように、結論だけ見ればきっと私と同じであるはずだ。けれどその、大変かどうかの過程においては妻の感覚が最も大事だとも思っている。
子どもたちを産んでくれたのは妻であり、授乳をしていたのも、3食を与えたのも、泣き続ける子供をひたすらに抱っこしてゆらゆらしていたのも彼女なのだ。私もいくらか同じようにしてみたが、彼女の手際や安心感には到底かなわない。
ただ、その妻の大変さやそれを見て歯がゆく思う私の不甲斐なさなど、全てをひっくるめても、やっぱり子供を育てることは幸せなのだと思う。
きっとまた、彼女は丁寧に子供に伝えるのだろう。母としての回答を。
ならば私は、父として、夫としての回答でいい。それは幸せ以外なにものでもないのだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【今日の記念日】
7月13日 お父さんの日
毎日働いて一家の大黒柱として頑張っているお父さんに、月に1回、感謝の気持ちを表す日をと株式会社ヤクルト本社が制定。「人も地球も健康に」とコーポレートスローガンに掲げる同社の、お父さんが健康にとの願いが込められている。日付は13で「お父(10)さん(3)」の語呂合わせから毎月13日とした。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?