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私が「本当に」やりたいことと向き合うStory④ <病院探しと母との対話の話>

いつもは出勤の日。でも今日はゆっくりの日。

というわけにもいかず、朝食の後、パソコンを開いて近くにある精神科や心療内科を片っ端から検索した。
今まで気にもしていなかったから気づかなかっただけだろうけれど、本当にいろんな病院があった。これだけあるなら診察も受けられそう、、、。

一番気になったクリニックへ電話をかける。優しい声をした女性の受付が出た。

「予約が来月まで埋まっているのですがよろしいですか?」

・・・来月?今月じゃなくて?人気のホテルかなんかなのか?

再度聞き返して、今日の診察ができないことを確認すると、丁重にお断りして2つ目の病院に電話してみた。しかしこちらも3週間ほど先まで予約で埋まっているとの回答。

この時点で察した。これは今日の診察どころか予約すら取れなさそうだぞ、、、

後から心理カウンセラーさんにチラッと聞いた話だが、今精神科や心療内科は予約が取りづらい状況らしい(地域によって異なると思うので、電話で直接確認するのが確実だと思われる)。

その後も2つの病院に電話をかけたが、どちらも撃沈。

ああ、私の話を聞いてくれる人なんていないんだ。
誰も私の辛さを分かってくれないんだろうな。

なんだか世間から見放されたような感じがして、また涙が滲んできた。

ソファで意気消沈していると、母が心配して声をかけてくれた。

「何が辛かったんだろうね」

何が辛かったのか。心の中でモヤッとした塊がいくつも浮かんでいることはわかっていたのだけれど、それを言葉にするのはなぜか時間がかかった。
ポツポツと、塊を取り出すかのように一つずつ文字にしてみる。

働き方。
やりがいが見出せない。
働いている意味が分からなくなった。
入社前と後とでのギャップがありすぎた。

話していると、なんだか自分がただのわがままな奴に思えてきた。みんなはちゃんと働けているのに、自分だけ理想を追いかけてるだけのただの空気読めない奴なんじゃないか。

そんな自分が嫌いになりそうだった。

でも、涙が止まらなくなるくらいしんどくなったことも事実だった。ただただその辛さを誰かに認めて欲しかったんだと思う。

「本当にしんどいんだったら、こっちに帰ってきてしばらく休んでもいいかもね」

母のこの言葉にちょっとだけ救われた。社会人になっても親に頼りっきりな自分を許せない気持ちもあったけれど。

昔から「自立しないと」という意識が人よりもあった方だったと思う。
というかそれができているのが社会人だと思っていた。
ちゃんとお金を稼いで、仕事も完璧にこなして、家事も滞りなくやって、仕事以外のプライベートも充実させていて、毎日自分の成長を実感できていて、貯金もして、自己投資もやって。
そんな社会人になりたい、いや、ならなければならないと思っていた。

でも、自分の理想と現実とのギャップがあまりにも大きすぎて、そんな自分が許せなかったんだろうな。(そんな完璧な奴、滅多にいないぞと今は思えるようにはなりつつある。)

兎にも角にも、診断書がもらえていないという現実は変えられない。休みをもらったのは今日まで。明日は出勤しないといけない。

「、、、帰る、さすがに明日以降も休みをもらうわけにはいかないし。」

そう言った私の顔は、明らかに不満丸出しだっただろう。
本当は、誰かに帰るのを止めてほしかった。誰かが会社に電話をして「この子を休ませてやってくれませんか」なんて言ってもらいたかった。でも、それこそただの甘えになる。自分のことは自分でなんとかしないと。

そんな一握り、いや、ひとつまみの使命感とか義務感だけが、スーツケースのパッキングの手を動かした。

帰りの新幹線で食べなさいね、そう言って母がパンを渡してくれた。
私の大好きな米粉パンも入っていた。
さすが母。やはり娘のことはなんでも分かっている。

日が落ちている様子を新幹線の窓からぼーっと眺める。

「診断書はないけれど、休めないかどうか上司に相談してみよう。でもその前にちゃんと迷惑をかけたことを謝ろう。」

でも、いつ、なんて切り出そうか、と考えている間に下宿先の最寄駅に着いていた。

たった2日だったらスーツケースで帰る必要なかったな、なんて思いながら重い足どりで転がす。ゴロゴロと音を立てるのはあまり好きじゃないから、できるだけ滑らかな地面を通るようにあっちこっち進みながら歩いた。

そうして、私の「弾丸」とも言える帰省が終わった。

To be continued.

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