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もう疲れた。生産性から解放されたい

昨日、髪を切った。初めての美容室だったのだけど、木目調で落ち着いた店内で、BGMの音量が小さく、全体的に静かで心地よい感じのお店だった。私が椅子に座ると、ものすごく内気そうな美容師さんが小声で「前髪は重めが好きですか、軽めがいいですか」と確認してくれて、イメージを伝えると小さく頷いて、そのあとは一言も喋ることなく髪を切ってくれた。

家に帰ってきてから、以前から気になっていた本を買った。すごく面白い。

この本は、長らくBRUTUSやPOPEYEで編集者として活躍された都築響一さんが、ご自身の作品や活動を振り返る内容だ。なかなか取材費もない中、見よう見まねで独自の取材スタイルを確立し、自分の興味に導かれて本を作り上げていく様子が描かれている。

都築さんは日本のカルチャーシーンではおそらく伝説のような存在の方で、本もたくさん賞を取られているのだけれど、恐縮ながら初めて知る私にとっては、驚きがいっぱいだった。この人は、一人で、人になんなら反対されながら、ちょっとでも面白そうな場所を探してあちこちを旅行したのか。出版の確約もない中で。

この本を読みながら、私は、ビジネスの世界の「生産性」に頭をやられる前の自分のことを思い出していた。

ここ数年、ビジネスど真ん中の仕事をしていたこともあり、頑張ってビジネス書を読んだり、本屋で「圧倒的生産性の仕事術!」みたいな本を見たり、日々の仕事で生産性を意識したりと、色々「生産性」のために時間を割いてはいたのだけど、正直、その言葉の意味するところの全く意味が分からなかった。より短い時間でより成果を出しましょうという表面上の意味は分かるのだけど、じゃあ成果とは何なのか?お金か?お金をより多く生み出すことが生産性なのか?それはなんのために?根本の資本主義が目指すところが理解できなかった(まだできていない)ために、その資本主義社会の中で生産性生産性と言いながら成果を出す意味も理解できなかった。

振り返ってみると、私は、どうもお金にはならなそうだけどめちゃくちゃ面白いものが昔から好きだった。「一般的なマスメディアには取り上げられなくて、マイナーで、あんまりお金儲けには繋がらなさそうだけれど、確実に作者が面白いと思っているもの」だ。ネットで個人ブログを読むのも大好きだし、個人ではないメディアでいうと「オモコロ」も好きでずっと読んでいる。今は昔、林雄司さんのヤギの目のサイトも親の目を盗んでこっそり読んでいた。ウェブサイトの内容をまとめて書籍化した「死ぬかと思った」、大ヒットで確か7巻とかまで出ているので知っている方もいるだろうか。初めて読んだ時、静かな図書館で盛大に吹き出しそうになって死ぬかと思った。

久しぶりに自分の好きなものに触れたことがきっかけで、働き始めてからの私は、ただ単に好きなものも「生産性がないから」と色々と切り捨てていたと思った。「ゆっくり髪を切ってもらう時間」とか「のんびりコーヒーを飲む時間」とかも、その場ではのんびりしているふりをしつつ、頭の中では仕事のこととか将来の不安とかがぐるぐると渦巻いていた気がする。全く気が休まっていなかったし、きちんと何かを楽しむことができていなかった。

でも、私は、もう、疲れちゃったのだと思う。生産性に疲れてしまった。多分、経営や商売の根本までうまく辿れれば、そこに人間味や面白みがたくさんあるんだと思うけれど、仕事柄そういう所よりも「トランスフォーメーション」「インパクト」「バリュー」などのカタカナ語のシャワーを毎日浴び続けて、そういう「生産性はあるんだけど人間味はない」みたいなことに疲れ果ててしまったのだ。もうだめでござる。

しばらく無理せずに、のんびり過ごす予定でいる。noteも楽しく続けたい。


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