先生が伝えたかったこと
今から40年ほど前、私が小学生だった頃の話です。
新しく赴任してきた先生が担任になりました。
大きな眼鏡が印象的な小柄で穏やかなO先生は、
決して若いとは言えない女性の先生でした。
ある日の学級会で、
近付いてくる学芸会のクラスの出し物を決めることになりました。
学級委員の生徒が二人、教壇に上がって進行を務めます。
O先生は学級委員の二人に進行を任せて、
教壇から離れた窓際の席に座っています。
「それでは、今度の学芸会でクラスの出し物を何にするか
決めたいと思います。」
教室の生徒たちは、静かに二人の進行を眺めています。
誰も発言せず、時々お互いの顔を見合わせて、
成り行きを見守っている様子でした。
「何か、やりたいことはありませんか?」
学級委員の言葉に、反応する生徒はいません。
誰もが、ただ前を向いて座っているという雰囲気です。
「〇〇さん、何が良いと思いますか?」
学級委員と目が合ってしまったのでしょうか、
指名された生徒は仕方なく立ち上がります。
「・・・別に、何でもいいです。」
学級委員の二人は、
この言葉を聞いてため息をつきながら教室を見渡します。
誰もが視線を逸らそうとしています。
「××さん、何が良いと思いますか?」
「え?・・・特にありません。」
困り果てた学級委員は、普段から仲の良い生徒を指名します。
「△△さん、何かありませんか?」
「私は、歌が良いと思います。」
教室の空気がざわつきます。
「□□さんは、何が良いと思いますか?」
「私は、お芝居が良いと思います。」
少しずつ、指名された人がアイデアを出して、選択肢が3つになりました。
「それでは、多数決で決めたいと思います。」
学級委員がメモ用紙を配って、生徒たちが自分の希望を書き込みます。
生徒達は受け取ったメモ用紙を眺めながら、顔を見合わせます。
数分後、メモ用紙が回収されました。
学級委員が一枚一枚メモ用紙を広げながら、
投票結果を正の字で黒板に記します。
生徒たちはその様子を見守りながら、
ざわざわと騒がしい雰囲気になります。
「ねぇ、何て書いた?」
「え?私は本当に何でもいいから。」
10分程度で、全ての集計が終わりました。
誰もが黒板の正の字を眺めているはずなのに、
学級委員の言葉を待っています。
「投票の結果、クラスの出し物は、お芝居に決まりました。」
学級委員の生徒がそう言うと、途端に緊張の糸が切れたように、
「えぇ~!」
「なんでぇ~?」
何人かの生徒が大きな声で言いました。
その時です。
「今、えぇ~!って言ったの、誰だ!」
静かに成り行きを見守っていたO先生が、
立ち上がって教壇に上がりました。
普段穏やかなO先生の口調とは全く違います。
教室の空気が、一気に静まり返りました。
「〇〇、何でもいいって言わなかったか? えぇ~!ってなんだ!」
名指しされた生徒は、下を向いて黙り込んでしまいました。
生徒の誰もが、
O先生がこんな風に怒ったのを見たことはありませんでした。
顔を真っ赤にしたO先生の怒りは、収まりません。
この出来事はその後も、私の記憶に強く残っています。
今から思えば、
O先生は女性の参政権についての運動があった世代の教育者です。
当時はまだ学校の先生も男性が多く、
女性の社会進出は始まったばかりでした。
それまで、誰かの決めたことに従うだけだった女性は、
少なくなかったことでしょう。
私は、20歳で投票権を得てから、
選挙の投票を放棄したことは一度もありません。
自分の意見が尊重される機会があることの有難さを、
粗末にしてはいけないと思うのです。
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