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修習方法(カマターン)を頻繁に変えてはいけません ルアンプー・プラモート師

質問者:自分は修業方法を変えて行うのを好んでいます

ルアンプー:あなたは妻をしょっちゅう変えますか?(笑)

修習方法を頻繁に変えるということは

何度も心変わりするということです

修習方法(カマターン)を

頻繁に変えてはいけませんよ

一つのやり方に打ち込むのです

そのやり方と心中するほどの関係になるのです

しかしながら

「自分に合った修習を正しく選ぶ」ということを

私達は知らなければなりません

修業方法(カマターン)の選び方は

まず

本当に自分で出来る事

そして

その方法によって安楽を感じることができる

という事が重要です

そして

自分に合った修習を選んだならば

その修業方法と常に共にあり

後戻りせず

やり抜くのです

例えば

プットー・プットーならば

プットーを投げ出さずにやり抜くのです

しかし

ある場面ではプットーだけでは気が散ってしまうことも

あるのです

その時には

それに一つ追加するのです

たとえば

呼吸が入る様子を観て

呼吸が出る様子を観察するのならば

呼吸が入り「プッ」

呼吸が出ていき「トー」と

一つ追加するのです

しかしそれでも集中できない時には

呼吸が入り「プッ」

呼吸が出ていき「トー」

そして「ひとつ」と数えるのです

呼吸が出入りし「プットー」そして「ふたつ」

呼吸が出入りし「プットー」そして「みっつ」

このように追加するのです

しかし三つ以上は追加してはいけません


私達が修習(カマターン)するときには

頻繁にやり方を変えてはいけません

なぜならば

もしも何度も方法を変えてしまうと

心を観察する事が難しくなるのです

修習(修行の方法)を一つ決めて行い

幸せが生じたならば「幸せが生じた」と知るのです

苦が生じたならば「苦が生じた」と知るのです

静けさが生じたならば「静けさが生じた」と知るのです

落ち着きのなさが生じたならば「落ち着きのなさが生じた」と知るのです

このように

一つの修習を決めて行うならば

心が変化する様子を観察することが出来るのです

しかし

修習し満足が生じていたのですが飽きてしまったので

別のやり方に変えてしまうと

何も観えなくなってしまうのです

私達は

忍耐しなければなりませんよ

頻繁にやり方を変えてはいけません

努力するのです

どれか一つを選んで取り組むのです

プットーでも構いませんし

呼吸を観るでも良いのです

しかし

もしも朝昼晩とやり方を変えてしまうのならば

心を観ることは出来ないのです

今満足を感じていたとして

な修習を変えたからと

そして呼吸の修習にかえました

すると苦がやってきました

ですから

今度はプットーに変えました

そして心は幸せを感じます

なぜならばプットーに変えたからです

あたかも

私達は自分の心に注文をして

思い通りに出来るかのようです

ですから

修習(カマターン)を頻繁に変えてしまうと

無常・無我・苦が観える代わりに

いつでも

幸せや静けさを生じさせることが出来る

心を思い通りに出来きて自分は賢いという

もしも修習を変えないのならば

思い通り出来るというのは本当のことでは無い

とはっきりと知ることになるのです

ですから

忍耐して取り組むのですよ

仏歴2561年11月18日


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