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性的消費とは何か

追記(2021-1-17 17:14)

カントの要約がまずいとの指摘を青識亜論さんよりいただいたので修正します。ご指摘ありがとうございます。

※注意!!

 このテキストを書いた人物はアンチフェミかつ大体のフェミニストといわゆるリベラルが嫌いです。ですので、このnoteはしばしばフェミニストの皆さんにとって不快な表現が散見されるかと思います。それでもアンチフェミ視点の性的消費論の捉え方、そもそも性的消費がよく分からないので知りたいと言う方は以下にお進み下さい。

 また、当記事は無料で全部読めます。が、投げ銭感覚で購入していただけるとすごく喜びます。よかったらよろしくお願いいたします。

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 皆さん初めまして。アンチフェミの右翼、ポリティカルインコレクト放送禁止人間、好きなものはタバコと革命、嫌いなものは嫌煙主義者と暴力、口の悪さでいつ凍結されるかビクビクしながらTwitterやってます、SULLIVANと申します。今日も世界平和を夢見てます、よろしくお願いします。

 Twitter上で、ある有名人が「あいつ浅い女叩きで金稼いでタワマン住んでるよねw」と言う当て擦りをされているのを見て、俺も浅い女叩きnoteでタワマン住みてえ〜と思ったのでnoteを書こうと思ったんですが、どうせならTwitterの議論(別名社会のゴミ)に有益な情報を提供しようと思いました。

 なので今回のnoteは性的消費というTwitter上でフェミニスト(別名バカ)がよく言う謎の単語、

「性的消費」

についての解説を行っていきたいと思います。これを読んで、今日から性的消費についての理解を深めましょう。暇な人は。忙しい人はこんなnote読むな。時間の無駄です。受験生は受験頑張れ。インターネットよりサクラサクことを祈っています。

✖︎性的消費 ○sexual objectification 

 まずですが、性的消費という単語そのものは、実際“正式な”学術的タームではありません。よく言われていることですが、いわゆる「ツイフェミ」連中がただ喚いてるだけというのはある程度正しいです。ヒトシンカさん等が提唱していますが。

 実際、「性的消費」の裏を支えてる理論を理解している「ツイフェミ」なんていないでしょう。ですのでこの話はこれでおわりでいいかな、意外とnote書くの辛いしとは思いました。

 しかし、流石にそんな説明で読者の皆様を放り出すわけにもいかない。性的消費というタームについて説明し、Twitterにおける平和に少しでも貢献したい。そしてこのnoteで金を稼いでタワマンに住みたい。

 そう思ったので、ここではもう少し踏み込んで説明を行います。

 性的消費は学術的タームではないですが、この謎の単語は一応正式的な学術的タームである、ある単語からの派生語であると考えられます。

 それは、sexual objectification 、日本語でいうと「性的モノ化」「性的対象化」というものです。

 なぜその単語からの派生であると考えられるかは後々説明しますが、ひとまず性的消費というものはこの「性的モノ化」という単語と同一のものであると考えていいです。いや、厳密には性的モノ化の「中に」性的消費というものが含まれていると考えた方が良いですが。そしてこの女性のモノ化、性的か否かに限らずフェミニズム内では大問題の一つとなっています。

マルクスの疎外論、カントの道徳、モノ化とは?

 しかしそれでも分かりづらい。そもそもモノ化とは何か、なぜモノ化は問題なのか?

 サブタイトルはなんだか難しそうなものになりましたが、ただ理論的支柱がどこから来ているのかということを示しているだけです。つまり、モノ化はいけないよ!ということは、マルクスの疎外論と呼ばれるもの、もしくはカント的道徳によってその裏付けがされています。多分。

 さらに面白いことに、この2つは結局言っていることはあまり変わりない(少なくとも今回のテーマにおいて)。

 大雑把に要約すれば、「人間の本質を見てくれ、要素で抽象化しないでくれ」ということを言っているのです。

 疎外論に沿って説明しましょう。

 例えば、ある人物が思考し、その思考を何か原稿用紙に書きつけたとします。ヘーゲル哲学においては、この行為そのものを「疎外」と言います。つまり、思考(=理念的存在、本質的存在)が原稿用紙(=モノ)に「疎外」されている、ということです。この疎外のことを「モノ化」と言うと理解して差し支えありません。

 ヘーゲルは、この行為を人間の本質的活動として肯定するのですが、いわゆる「ヘーゲル左派」と言われるヘーゲルの批判的後継者たちにとってはこれらは批判の対象となります(そのヘーゲル左派に影響を受けた人の中にマルクスもいるのです)。つまり、疎外行為というものは打倒するべきであり、人間はその本質を尊重されるべきである、ということです。

 (余談となりますが、カントの「人間を、単に手段のみとして扱わず、同時に目的として扱え」というのもひとまず同じことと捉えていいでしょう。フェミニズムがリベラリズムと相性が良い理由もここにあります。リベラリズムのベースはカントですからね)

 モノ化の具体例を2つあげます。

 一つは、例えばTwitterのジェンダー界隈(笑)でよく争われる、男女の自殺率の違いについてのトピックです。

 自殺率の問題では、男性の方が大きいためにそちらに注力すべきであるとよく考えられますが、しかしフェミニズム的にはそれらは唾棄すべき視点です。なぜなら、それは女性の自殺という個々の具体的で「主体的」な問題から、個々の人格を疎外し、自殺している方の「割合」という「モノ」=「客体」の問題にしているからです。

 データというのは、人間の本質を「疎外」し、ある特定の問題について数値化した「モノ」ということができます。つまり、データによって女性を「モノ化」して扱い、そういった視点で考えることは「男性中心的」=「ミソジニー」である、ということです。

モノ化と性的消費

 もう一つが、例えば宇崎ちゃん、ラブライブ!のポスター問題や、最近でいうとくまクッキングさん?の広告の問題でよく言われる「性的消費」問題です。

 ここまで来るとピンと来た方もいらっしゃるかもしれませんが、あれらは性的要素を抽出、つまり「女性」という存在から「性的要素」を疎外した結果としての広告であると捉えることができます(少なくともフェミニストの間では)。つまり、性的要素の疎外=「性的モノ化」です。

 前に挙げた2つの例でいえば、つまり「巨乳」を「強調」していること=性的要素として、フェミニストどもはあれらを「性的モノ化」と判断した、ということです。それ以外にもおそらくそう判断した根拠はあるのでしょうが。

 そしてなぜこういった性的モノ化が性的消費と呼ばれるようになるのか。抽出された性的な「要素」は、つまり差異化のための疎外です。具体的には、広告において巨乳を強調するということは、それ自体が他の広告との差異化につながりますし、広告を出している側もそれを狙っていると言うことはできるでしょう。

 そしてそのような資本主義社会の中では、多くの場合その「差異」を評価する=消費する存在、消費者がいます。抽象化するならば、「モノ化」というのは、そもそもそれを必要とする存在がいるからこそ発生するものですし、資本主義社会においてその多くはいわゆる「消費者」(つまり、生産者と対に配置される存在)です。

 ここにおいて性的消費とは性的モノ化の一形態であるということが理解できるのではないでしょうか。

 もうお分かりでしょう。フェミニストどもの「女性を人間として扱え」「性的消費ガー」という鳴き声は、「本質を見ろ」「女性を要素に還元するな」ということなのです。本質なんてものをロクに考えたことのない高校生のような発言ですね(高校生の皆さんごめんなさい。多感な時期にそういったことに悩むことはいいことですよ)。

sexualではないobjectification

 そもそもフェミニストどもはそれを、男性はおろか同じ女性に対してもできていないにも関わらず、なぜ俺たちに求めるのか。傲慢と誇大妄想もほどほどにしてほしいと俺は思います。

 その傲慢さは、「名誉男性、ちんよし」といったいわゆる「男性中心社会に迎合的な女性への蔑称」に関して如実に表れています。

 もともとフェミニズムなんてカルト宗教な訳ですが、それでもモノ化というものにこれだけの理論はありました。

 しかし今やどうでしょう。なぜモノ化がいけないことなのかということを理解しているフェミニストなぞもう絶滅し、今いるのはただ自分の感情を醜く吐き出し、卑しく被害者感情を高めるだけのチンパンジーしかいません。おっと、チンパンジーに失礼でした。卑しく被害者感情を高める(もしくは女性の味方を気取りたい)だけの喋る生ゴミしかいません。

 最近炎上した「名誉男性」という言葉も、以上の疎外論に基けばそれが女性の「モノ化」であり、フェミニズム的には全くもって唾棄すべき蔑称であるということが明白でしょう。しかしなんと当のフェミニストに、しかもあろうことか親フェミ(男)にもそれを肯定するものが現れてしまった。

 以上の議論を理解し、実践しようとするものがこういった名称を使うというのは思想的不誠実な行為極まりありません。それは、フェミニストどもが抗議したくまクッキングさんの広告等にも劣るモノ化行為と言って過言ではない。性的じゃないだけで立派なモノ化、疎外の行為ですよ。もしかしてマジでエッチかそうじゃないかでしか物事を考えられないんですか?

 この蔑称を擁護する「フェミニスト」なぞは、二度と俺たち常識人と対等な立場だと思って欲しくないですね。あなたたちは喋る生ゴミですよ、生ゴミ(当然、疎外行為を肯定する一般人の方々は使っても問題ないといえば問題ありません。まあ品はないな、とは思いますがそれだけです)。

おわり

 俺は右翼なので、そもそも疎外に対してはヘーゲルと同様肯定の立場に立っております。ですからモノ化行為そのものは否定するわけでもなく、ああいった問題は「常識」「良識」といった、伝統と慣習に裏付けられた価値観での判断を望みます。そもそもモノ化がどうこうなど、くだらない議論なのであまり乗りたくないと言うのが本音ですし、言いたい反論もいくつか存在しますし(機会があったらどっかに書きます)。

 しかし、敵陣営の謎の鳴き声を理解しておくことに損はないでしょう。何より、カルト宗教というのはまともで善人であるフリをして、知らず知らずのうちに人を懐柔し、懐に入り込んでくるものなのです。

 であるとするならば、そういったカルトに対してするべきは、相手の言っていることをしっかりと理解し、悪人になる覚悟を背負い、自らの相対化を忘れないその心意気なのではないでしょうか。

 このnoteが、その一助になれば幸いです。

 まあ理解した上でカルト信者になってもらっても構わないといえば構いませんが、アンチフェミの俺としては、1人でも多くの味方が増えることを望んでいます。みんなお互いをモノ化、相対化していこう。

 以上、初noteでした。俺もこれでタワマン住みたい。

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