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インドネシア滞在記⑧アゲとアグス

 私が留学中に所属していた森林学部のリリック先生の研究室には仲良し6人組がいて、いつも私のお世話をしてくれていた。最初に迎えに来てくれたイルハムとマハディに加えてレザとアグスという男の子。あと2人は女の子でアゲとナナといった。6人は同じ学年だったがインドネシアの大学は、卒業式が年に何回かあり、それぞれが卒業論文などを書き終えたタイミングでバラバラに卒業していく。レザとナナはすでに卒業していて、マハディは実は違う大学に通っていたのと、イルハムは卒業間近であまり研究室には来ていなかったので実質いつも研究室で毎日顔を合わせていたのはアゲとアグスだった。
 アゲは敬虔なムスリムでヒジャブと呼ばれる布で頭を覆い、長袖にロングスカートといういで立ちだった。マレー系の民族だったので色白で、眼鏡をかけていてすらっと背が高かった。さっぱりしていて全然物怖じしない性格で、女の子ながらバイクに乗って通学していて、私はいつもアゲのバイクの後ろに乗っかっていた。ちょっとオタク気質で、マンガ好きの私より日本のアニメに詳しかった。特にカードキャプターさくらとセーラームーンが大好きで、よくわからないマニアックな少女漫画とかもよく知っていた。アゲはアニメのデータをUSBにちゃっかり入れていたので、私はアゲに教えてもらったアニメを夜な夜な家で観てはまったりしていた。
いろんな友達がいる中でもアゲとは特別仲が良く、彼女が卒業して実家に帰ることになったときは寂しすぎて私のほうが先に泣いてしまった。アゲの実家は、スマトラ島の東に位置するバンカ島(Bangka)のムントック(mentok)と言う一番端っこにあって、それこそものすごく遠かったが計3回くらいは飛行機に乗って遊びに行き、社会人になってからも年末に会社を10日も休んで結婚式に行った。
 アグスも敬虔なムスリムだったが、アゲとは対照的で心配性でちょっとビビりな性格だった。ジャワ系の民族なので色黒の肌で、天然パーマの髪にいつもトレードマークのキャップを被っていた。危ないからと言って車もバイクも自転車も自分で運転したがらなかったが、くそがつくほど真面目で「1人で大丈夫」と言っているのに暗くなると家まで毎日歩いて送ってくれたし、そうでないときは「ちゃんと家に着いた?」と絶対にメッセージをしてくれたので、ほとんど世話焼きのお母さんみたいだった。
 2人とは一緒にご飯を食べたり、他愛のない話もたくさんしたけど、イスラム教のことも色々教えてくれた。ムスリムなので1日5回お祈りの時間があるのだが、アゲはよくモスク(お祈りをする場所)に一緒に入れてくれて、私を後ろで待たせてくれた。全然強要はしなかったが一度アザーン(イスラムのお祈りで、お経のようなもの)を携帯で流して聞かせてくれて、「どんな風に感じた?」と心配そうな顔をして控えめに聞いてくれた顔が忘れられない。アグスは、イスラム教ができた歴史とか、なんで豚肉を食べちゃダメなのかとか、ちょっとデリケートなことも教えてくれたし、何を聞いても嫌な顔ひとつせず私の下手くそなインドネシア語に付き合って、根気よく話をしてくれた。
アゲもアグスも少しずつ日本語を頑張って勉強してくれていて、アゲは「かわいい」と「きれい」という言葉を最初に覚えた。アグスはなぜか「すごい」という言葉を最初に習得して、しょっちゅう「すごい」と言っていた。

 性格は対照的だったが、2人とも息をするように誰かのために自分の時間を使える人だった。私は、いつか就職してお金が稼げるようになったら、飛行機代も宿泊代も交通費も全部出すから、この2人を日本に招待してアゲの好きな桜をたくさん見せてあげたいと心から思った。

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