生きることと豊かさの尺度
私は好きなこと、やりたいことがたくさんある。
音楽、刺繍、文を書くこと、お菓子作り、写真を撮ること、山登り、ビーズで何か作ること、何か学ぶのも好き、旅、言語の習得
そして生きていくためには、
住む場所、電気、食べ物、それを手に入れるためのお金が必要だ。
長いこと安定した職についてないので、今の放浪人生を楽しみつつ、
はてさてこれからどのように生きていこうか、と真面目に考えることもある。
そして、何がやりたい?より、
どんな環境に身をおいて、どんな人たちとそれを経験するかを含めた、
どう生きたい?が自分にとってとても重要であることは見えてきている。
さっきも言ったように、生きていく上で最低限のインフラが必要で、それをどう稼ぐかというのが仕事だ。
たくさん稼いでお金持ちになってみたいと思ったことがないが、普通に生きてみたいなと思ったことはある。
普通とは、生きていく上で必要なお金を自分で稼げて、
一人暮らししたり、自立した生活をする中でも
それなりに楽しいこともやりつつ、バランスが取れた(精神的にも)生き方。
つまりは、苦しみたくないのだ。
なんでこう、0か100で、みんながそれなりにできていることをできないんだろうとか、考えても仕方ないことを悩みまくったりもした。
何が正解不正解はないけれど、
正社員を辞めた後は、普通に働けない自分を周りと比べて悶々とすることがあった。
みんなそれなりに辛くて、頑張って、その中で仕事の人といい関係を築いたり楽しんだり、気づいたら何年も走り続けてた!周りの友人は、なんだかんだ仕事楽しいな、と充実しているように見える。
なんで私はそれができないんだろうと思ったりもした。
それが、学生を終えた後の、あるべき生活、生き方だと思っていたから。
でも私にとっての豊かさは、そういうものではないんだ、と気づいた。
でもやっぱり、つい焦ってしまうこともある。
どこかで、自分なりの生き方、道、最低限の安定した生活を送って早く一息つきたい。
好きなことを仕事にしてみたら?
何かやりたいことがあるんだったら、資格とってみるとか
ただ好きなことを、生きていく上で生かさなきゃいけないような気がして、どうしてもすぐに何かに繋げようとしてしまう。
ただ好きだから、自分のペースで、自分を癒すためにやっているのに、純粋な好きという気持ちだったはずなのに、モヤがかかったフィルターでそれらをみてしまうのに気づいて、その下心がとても醜い。
何か物を作ったら、売ってみたらいいのに!とか
お菓子作りが好きで、作ることと、コーディネートして素敵に写真を撮ることを楽しんでいたら、
マーケットに出品してみたら?とか
前向きな意味で言ってくれているのはすごく分かる。
背中を押してくれてありがとうとも思う。
でも、そういう考えなしで、ただただ楽しみたいんだ。
それが自分を癒すことだったり、気持ちが落ち着いたり、リラックスするためにやっているようなものだから。
ただ楽しむという段階に、いつまでもいたい。
仕事を探す時も、
なんの資格がありますとか、これを学んだので活かせますとか、
これまでやってきたことを全て繋げないと進めないように感じて、
私の好きなことは、資格があるわけでも、学問として勉強したわけでもない。
プロでもないけど、好きなことに対しては、
他の誰にも負けないくらい情熱を注いでる自信がある。
心が穏やかで、頭を好きなもののお花畑にできている時。
それができている時、私は人生における豊かさを感じる。
バランスよく生きるなんて、そんな理想から1番かけ離れている人間だけど
やっぱり諦めずに、自分のあるべき生き方に近づいていきたいな
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