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祖母の死が教えてくれたこと。その①
看護師とか訪問看護とか言いながら、最初から家族の話ですみません(笑)
ACP(アドバンスケアプランニング)、人生会議・・・将来の意思決定能力の低下に備えて、患者さまやそのご家族とケア全体の目標や具体的な治療・療養について話し合う課程
昨年、クリスマスイブの夜に祖母が亡くなりました。享年89歳。
晩年認知症を患い、長く住み慣れた故郷を離れ、私達(私の母の母)の住む町の施設、自炊もできてた頃はサ高住、最期は特養で暮らしていました。
自他ともに認めるおばあちゃん子の私。
会いに行けば、私のために料理を作り、ベッドで休ませてくれ、 買い物に行けば私の好物の”サバの醤油煮”を作るために、忘れかけている記憶を一生懸命かき集め材料を探してくれ、認定看護師の養成課程の合格を伝えると「さすがおばあちゃんの孫!」と褒め倒してくれて、、、
認知症が進行してくると、名前こそ覚えていられなかったけどニコニコで迎えてくれて、おばあちゃんの食事介助をしているのにスプーンを取り上げ、私の口に入れてくれるなど、最期までわたしの”おばあちゃん”でいてくれました。
そんな祖母が急変したのは昨年の夏。高熱が続き、危篤状態となりました。
奇跡的に意識は回復しました。
しかし数日の絶食により嚥下の方法を(食べ方)忘れてしまったのです。
治療方針で仕方ないですが、”絶食”の恐ろしさをまた感じてしまいました。(実は父も肺炎→絶食により経口摂取困難となりました。また今度父のことは書きたいと思います)
胃ろうを作るか、CV(中心静脈栄養)ポートを作るか、経鼻栄養か。
居住先である特養の方針で経鼻栄養とCVはNG。となると、胃ろうを作るしかないか。おばあちゃんは答えを出せない状態・・・
89歳で心臓に持病もあって、何度も手術して、認知症もあって、、以前からACPをするきっかけがあったにも関わらず、おばあちゃんと改めてしっかりと今後の療養についての話し合いをしていなかったのです。
そこで、おばあちゃんの今後についての家族会議です。
以前より”食べること”が好きだったおばあちゃん、
心臓の持病も手術を選択せず”自然でいい"と言っていたおばあちゃん、
”辛くなるなら長生きをするもんじゃない”と言い続けていたおばあちゃん、
おばあちゃんの意思を推定し、私達家族の出した答えは、
”何もせず施設に帰る” でした。
看護師として客観的に考えると、この年齢で、持病もあって認知症もあって胃ろうを入れるということは、今後亡くなるまで胃ろうで過ごさなくてはいけないことが多く、そのことが本人にとって幸せか?と考えたとき、この選択肢はよくあることです。
しかし今回大好きな自分のおばあちゃんにその決定をしたことで、選択する家族はこんなにも感情が揺さぶられるものなのか、、、、と改めて実感しました。(母も看護師ですが同様の思いを抱えていました)
その感情は、たとえACPを事前に行い、おばあちゃんが同様の意思決定をしていても同じだったと思います。
叔父(長男)がお通夜の謝辞で
「あの時、何もせずに施設に帰すことを選んだけど、その選択がほんとによかったかと思っていたが、亡くなる前日まで食べれていた母を見て、何もしない選択を選んでよかった、とやっと言えます」
と言っていたように最期の最期まで選択した家族は悩み続けます。
ここ最近ACP、人生会議、意思決定支援のワードがよく聞かれ、特に在宅医療、緩和ケアの分野ではトレンドです。私自身も何度も研修に参加し、実際にACPに関わらせていただいています。
・ACPを1度することが大切なのではなく、継続して本人を含めたACPで話合い続けることが大切。
・本人が意思決定できない今回のような場合家族による本人の推定意思決定をしなくてはいけないこと、その選択をする家族は選択に困難を要すること。
・そして意思決定をしたとしても、悩み続け、感情は常に揺さぶられていること。
今回祖母の死を経験したことで改めてこれらのことを考える機会となりました。
意思決定する本人、家族の背景にはこのような思いがあることを忘れてはいけないこと、
その思いに寄り添いながらも、看護師として何ができるかを考えることを忘れずに、意思決定支援をさせていただきたいと思います。
★【なにもしない】選択をし施設に帰った祖母は奇跡的に食べれるようになりました!
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