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保護犬ボランティア人生の始まり


#それぞれの10年

あの揺れた時に一緒にいたワンコもかなりシニアになった。それでも10年間、私のお店に通って来てくれてるんだな、と改めて感謝。

東日本大震災の後、一か月と少し経った日に勇気を出して(東北がすごーく遠いと思っていたし、運転も嫌いだったから笑)向かったのは宮城県石巻市に開設された被災動物のシェルター。そこは水道局の敷地内にプレハブなどで建てられたシェルターが建ち、大型&中型ワンコ、小型ワンコ、元気なニャンコ、感染症疑いのニャンコ・・・などなどカテゴリー分けされて収容されている多くの動物がいた。大きなオウムや亀もいたはず。まずはエンドレス散歩(笑)。戻してはワンコを交代してまた散歩・・・その間に中ではケージを掃除したり、フードを用意したり・・・全員のお散歩がお昼前にひと段落して・・・午後にまた同じ事を繰り返す・・・といった流れで夕方まで過ごした。初回に何泊したのかハッキリ覚えてないけれど、片道6時間かけて行くので3~4泊はしてたと思う。だんだん流れがわかり、私がトリマーだと多くの方が認識してくると中でワンコの出し入れをする側になり、ストレスで下痢したコを洗ったり、状態の悪いワンコのケアをしたり・・・通っていると地元のボランティアさんや長く滞在しているボランティアさんとも色んな話をするようになり、自分も被災したのに頑張ってる人も多くいた。現地ならではの「生々しい話」もたくさん聞いたし、TVでなく実際に自分の目で被災地を見た事はショックも大きかったけれどモチベーションにもなっていたかもしれない。その後、1度場所を変えたシェルターは約半年で閉鎖が決定。その石巻で「福島はボランティアさんが少ないみたい」と聞いて、閉鎖後は福島へ。最初は倉庫のような場所にケージを平置きされている施設へ通い、お散歩、掃除、給餌などなど・・・そのうち、もう1か所シェルターが出来て最終的には後から出来た大きくて設備の整ったシェルターに統合され、こちらも被災動物のためのシェルターが閉鎖される日まで約3年間通い続けた。福島へ通い始めてからはお金を使うのも支援かも、と温泉に泊まる日も増えて、4時起きして日中はボランティアして温泉へ泊り、翌日もボランティアして夕方帰る、という感じで月に1~2回ペースで通っていた。ここでも地元のボランティアさんに親しくして頂いて、お散歩や掃除、給餌、シャンプーと楽しく参加させてもらい、最終日まで参加した。

「あぁ~、これで東北でのボランティアも終わり!」

最後までお手伝いしたので、燃え尽き症候群のようだったけれど(笑)その後も実は毎年福島に「温泉旅行」には行っていて、今後も続けたいと思ってる。

そして1~2年はのんきに過ごしていたのだけど、その後居住地の市の動物愛護センターでもボランティアを募集している事を知り、登録し、お散歩に時々行くようになると、県の愛護センターでも募集している事を知り、そちらも登録し、参加。県の愛護センターの方が収容頭数が多く、仕事も多いのでここ数年はほとんど県のセンターでのトリミングがメインになっている。月に3回ほどしか時間を割けないけれど、トリマーさんがいないので(泣)なるべく間隔を空けないように通っている。

保護動物のボランティアがすっかりライフワークになったきっかけは、あの東日本大震災に他ならないし、この活動によって様々な経験が出来たのは事実。もちろん震災は「あってヨカッタ」とは思わないけれど、震災がなかったら知り得なかった多くの事を学ばせて貰ったと思っている。実際に殺処分されるワンコと向き合った事のあるトリマーは恐らく1%もいないと思う。それは悲しい、とか無力感とか安っぽい言葉では言い表せない感情で、その反面に保護動物のボランティアを通して実感できるのは「捨てる神あれば拾う神あり」。これは実際に携わってみないと理解出来ないかもしれないけれど、今現在のニッポンの殺処分数の減少は拾う神のおかげなので、何度見知らぬ里親さんに感謝したかわからない。保護動物に関しては時間の掛かる法改正といたちごっこする悪徳業者も含め、簡単ではないけれど、多くの人に知って欲しい事がたくさんあるし、それは携わった人しか伝えられないので、今後も自分の出来る事は続けていきたいな、と思っている。

これが私の震災後の10年・・・。


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