祖母と父のライスカレー
祖母のつくるカレーを、一度も食べたことがない。
わたしがまだ小さな頃に、祖母は祖父を病気で亡くした。それから徐々に認知症を発症してしまった祖母の手料理を、幼いわたしが食べることはほとんどなかった。お正月に家族で帰省する時などに、ときどき炊いておいてくれた黒豆が、わたしが思い出せる唯一の祖母の手料理。
そんな祖母に会うたび、わたしの父は未だに言う。
「今度来たら、ライスカレーつくってね」
ライスカレー。
その言葉には、なぜかひどく懐かしく、切ない響きがあるように感じる。すっかり乱雑になってしまったさみしい台所。そこに背中を丸めた祖母が立つ、そんな幻想がふと頭をよぎる。
今年で93歳になる祖母は、もう一人では歩けないし、家族のことすら時々分からなくなるくらい、認知症が進んでしまった。椅子に座り込むちいさくなった祖母に、それでも父は、毎回言うのだ。ライスカレーつくってね、って。その度にわたしは、ああ父も祖母の「こども」なのだなあと、不思議に思ったりする。遠く離れた祖母の家から帰る時、お決まりのようにそうやって声をかける父を、わたしは少なくとも20年、ずっと見続けてきた。
「おばあちゃんのつくるライスカレーは美味しかったの?」
聞いてみたら、父があっさりと「美味しくなかったよ」と答えるので笑ってしまった。今みたいなカレールウなど売っていなくて、カレー粉を使い、水で溶いた小麦粉でとろみをつけていたので、美味しい!といえるような代物ではなかったとか。わたしにとっては、お話でしか聞いたことのない昭和のカレー。父は夕飯がライスカレーだと、あんまり嬉しくなかったらしい。
「じゃあさ、なんでライスカレーをつくってって言うの?」
父の答えは「よくつくってた料理だからかなあ」だった。祖母の定番料理だったカレー。そこから少しでも昔のことを思い出して、祖母の刺激になってくれたら。また何かをはじめる気力を取り戻してくれたら。父の願いがこめられたそのお決まりの呼びかけが、慣れ親しんだ挨拶のように聞こえてくる。家族のために、何十年もご飯をつくり続けてきた祖母の「お母さん」としての人生が、その言葉には染み付いているのだろう。
だからかもしれない。父のいう「ライスカレー」には、どこかセピア色をした哀愁が、かなしげに漂っている。
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ところで、父は、カレーライスが好きだ。
母のつくるカレーライスは、ごくふつうの市販のルウを使ったもので、味も申し分なく美味しい。そのこだわりのなさが、無性に心地よかったりする。
ところが、少し前に、父が巨大なカレー粉の缶を買ってきた。どう見ても業務用でしかない、ドデカくて赤い缶。そんなのどうやって消費するの?!と思ったけれど、たくさんカレー作ればいいじゃない、と父。それはつまり、固形ルウを使わない、昔ながらのカレーライスをつくってくれという意味である。
それをきっかけに、我が家ではカレーをルウから手作りするようになった。父の記憶のライスカレーみたいに、どこか味の物足りない、どろっとしたものができあがるかと思ったらそんなことはなかった。重くなくて、味も濃すぎず、優しい風味にほっとする。カレー粉と小麦粉でつくっても、母のカレーライスは美味しい。昭和とは、やっぱり何かが違うみたいだ。何年かけて使うつもりだろうと思っていた巨大なカレー粉缶は、気付けば底が見えそうなくらい中身が減っていた。
きっと、わたしも父くらいの歳になったら、母のつくるカレーライスを思い出す。その頃には、今より色々な美味しいカレーを知っているかもしれないし、自分でも凝ったスパイスカレーなんかに挑戦したりするだろう。それでもやっぱり、思い出に染み付いたあの普通のカレーライス、母のつくっていた温かなお鍋の湯気の匂いに、勝てるものなんて到底ないのだと思う。不思議だなあ。それぞれの家庭に、絶対的な「うちのカレー」があるのだから。
「はじめて市販のルウで作ったカレーを食べたときにね、カレーってこんなに美味しいものだったのかと感動したよ」父は冗談まじりにそう言って笑う。そうやっておどけて笑って、目尻にシワをつくる父を見て私は思う。多分ね、お父さんは好きだったんだと思うよ。おばあちゃんがつくる、美味しくない「ライスカレー」も、さ。
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母から作り方を教わって、わたしも昔ながらのカレーライスを作ってみました!!!
あれこれ調味料を試したり、じっくり炒めたり、カレーをつくりながらわくわくしたのは久しぶりでした。自家製ブラックベリージャムを入れてみたのが大正解。おうちにあるものでフルーティなコクを出すことができました。
やってみて分かったのは、昔ながらのカレーづくりで大切なのは、とにかく基本をちゃんと、手を抜かずにやるということ。それだけ守れば、誰でも懐かしの味にたどりつけるようです。それから自由に試してみること。みんながそれぞれ持っている「うちのカレー」の記憶は、そうやって生まれてきたのかもしれないなあ。
そんなこんなで、父と祖母のライスカレーとも、母のカレーライスともちょっと違うけれど、これもこれでちゃんと楽しくて美味しい「わたしのカレー」、できました。
貴重な時間を使ってここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。