見出し画像

【向き合い1 2006年の出来事】


書店での出来事の後・・・


「ハートを開くように。
 受け皿をつくるように」

その言葉を受けることを決意し……数日が過ぎてゆきました。


私に声が降りかかり、
様々な事が起きるようになってから、

私に起こっているこの現状を好ましく思っていない、

「隙あらば」と私を狙っている

沢山の
姿のない視線は、

相も変わらず四六時中続いていました。

それは常に私に恐怖を与えました。

同時に、

四六時中私を狙う姿のない視線から、

四六時中私を守り

私の姿
存在位置を
悟られまいと
片時も油断せず守り続ける存在達の必死さも
伝わっていました。


私達肉体を持つ者が見る視界と、
霊的な世界から私達を見る視界とでは、大きな違いがあります。

肉体的な世界では、
物は物として
人は人の姿として瞳に映ります。

対して霊的な世界から見える私達の姿は、
形ではなく
嘘偽りのないエネルギーとして映ります。


当時の私は、
霊的な視界から見ると、
煌々と燃え盛る膨大な光を発したエネルギー体になっており、
地上でそうした光を発する存在が出現することを好ましく思わない、
「潰そう」……
もしくは
「乗っ取ろう」
と意図する霊的存在がいることを この時期学びました。

私を
「潰そう」
「乗っ取ろう」
とする存在から守るために
私に声を届ける存在達は、

私の煌々とした膨大な光が
向こう側の視界に映らないよう常に
ピリピリとした緊迫の元 私を守り続けてくれていました。


この世界をからくり人形のようにみえる感覚も、相も変わらず続いていました。

それによって不安や悩み、怒りに襲われることは極端に減り、
もしくはそれらを感じても、すぐにそこから離れることができるようになっていました。

食生活も、
食べる事をするようにはなっても、以前の食生活に戻ることはありませんでした。

変わったのは、
時代を逆行する体験は緩やかに引き出されてゆく日々に変わったこと。
 
今生の自分になる直前、母親の体内に宿る前の記憶を取り戻したのもこの時期でした。


そしてもうひとつ、
声がほとんど聞こえなくなったことでした。

今までのような
声(正確には声ではありませんが)の一方的な語りかけは消え、
必要な時にのみの語りかけてくる形へと変化しました。

もはや、スピリチュアル運動がどうのこの~~だとか
それに関連することを話してくることはありませんでした。


ただそれが、
新たなコミュニケーションへの移行だと、当時の私は気づくこともできてませんでした。

 


声がほとんど消えて間もなく、更にさまざまな体験現象が襲い掛かってくるようになるのですが、
これが、<語り>に代わった<新たなコミュニケーション>でした。

新たなコミュニケーションは、起きている時・睡眠時共にやってきました。

特に深い体験に関しては、主に睡眠中起きました。

強烈な睡魔に日々襲われ寝てばかりになったのもこの時期です。

私にさんざん語りかけてきた人物は、
直接的に私と関わることはなく、
直接的に関わるのは
私と私に話をしてくる存在達との中間に位置する、
存在達でした。


私の扉が開いたことによって起こる、様々な体験現象には常に危険がつきまとっていました。

それは
<好ましく思っていない・隙を狙う存在>
に入り込まれる危険性が
とても高いということです。
そうした存在は、私に触れよう・入ろうといつも言葉巧みに、親身な態度、友好的手段で、
表面上はもっともな言葉態度を用いて やってきます。

見極めることのできぬ当時の私は、
どちらを信じていいのかもわからず混乱することも数回ありました。

身に降りかかる現象は、驚きと興奮と混乱の連続でした。

自分のなかの常識は次々とひっくり返り、
斬新さと新たな発見の連続でした。


でも、


でも、


でも、


当時睡魔に負けっぱなしの日々の中数ヶ月が過ぎてゆくなかで、
私は次第に疑問を抱くようにもなったのです。

<だから、なに?>と。


声が聞こえる

光が見える

直感が増した

エネルギーを以前より感じる

摩可不思議な体験をする

『だから・・・・なに?。それがあるからとて・・・・なんだ?』

自分のなかの変化も起きた。

『だから?。』


結局私は……どうしたいの?
……

……


……どうなりたいの?


もし仮に
摩訶不思議なことが起き続けたとして、
霊的能力が増してゆくとして、それが私の望むことなのか?。


そしてこれらの体験を通してわかったことがひとつ。


霊格者と霊的能力は比例しないのだということ。


例えどんな霊的能力をもったところで、それをどう使うかは私達人間の心。


人格者としての質だ……

……

……


結局……私はなにをしたいの?。


……どうなりたいの?。

……

……

……


そう。ここでまたもや私は、こうした一連の出来事が起こる以前の最初の素朴な疑問にぶつかっていたのです。

   

同時に

『私には肉体があるんだ』

というジレンマまで今度はくっついて。


そして変わらぬ、「好ましく思っていない存在達の視線>

そうした想いに駆られるなかで
やがて執拗に私へ伝えられてくる言葉が

「自分(己)をみよ」

でした。


つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?