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ロボ・サピエンス前史と様々な時間

書きかけ

ロボ・サピエンス前史という漫画を読んだ。
儚い人間の時間と、無限に思えるようなロボットの時間の流れを見ながら、読者と作者に流れる時間の違いという、たいして関係ないことを考えた。

作品を作る時間と消費する時間の間にはとんでもない隔たりがある。作者が長い時間をかけて丁寧に書き込んだコマを読者は一瞬で駆け抜けていく。ゆっくりと積み重ねるように作られた画面を記号のように処理して通り過ぎていく。

ロボ・サピエンス前史の中では建築物や乗り物、室内の壁や施設などに様々な言葉が、物体に埋め込まれているかのように存在している。この文字たちは表面に書かれているようにも、立体的なテクスチャのようにも見えるしとにかく所在がはっきりしない。そして表面を埋め尽くすようにデカイ。書かれている言葉は標識や看板のようだったり、状態を表すサイン(空を飛ぶUFOのような乗り物が停止すると表面に「停」の字が現れる)。これらは基本的に背景なので気にしなくても読むのに差し支えはないし、むしろ全部読んでいたら話を追う邪魔なくらいなのだが、その不思議な佇まいのせいで気になる。この作者は、殆どの読者がさらりと通り過ぎるであろうこの文字を、ひとつひとつ文言を考えて丁寧に書いたのだという当たり前のことに気がつく。

別に特別なことではない。どんな作品でも背景を書いた誰かがいる。でもなぜかこの漫画ではそのことが気になった。そして悠久に流れるロボットの時間と、自分がその長い長い時間を通り過ぎるのにかかった30分くらいの時間を思って、人に話すには取るに足りないことだと思いながらでもここに書く。

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