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夜行性の大学 6次元目 ー超・経済論 猫の目やお金の正体垣間見し・本質編ー

で、戻るんだけど。「お金って何?」って話ね。

お金は「価値を運ぶ器」。
器が運ぶ中身が、お金の本質・正体で、
その中身とは、我々が感じた「価値」。
「価値」とは、喜びなどの「上げ感」である。

つまり、お金の正体は「価値」であって、「上げ感」、であーる。
「個々がどんな喜びを感じたのか」が、お金の正体って事になる。


お金という道具を知って、その本質を理解しましたね?


「なんかピンときた!嬉しいかもーー!」(闇の空耳)

あら? そこの見えない諸君、嬉しい??
なんかちょっと、上がった??
やだー、それがお金って器に入れるものじゃん。
わーい。猫がもよおして出したものに値がついたー。

あ、ちなみに、この大学の授業、値段がついてるんですけど。

「¥48,418」(夜は良いわー)。

「お金はオモチャじゃありません!遊ぶんじゃありません!」(空耳ね)

来たる新しい朝にさ、この大学を何かの形にするには必要かなって、
値付けしてみたんですけど。
でも総長思うんだけどさー、売る方が必ずしも値段決めなくても良くない?
買う方が値段決めた方が良さそうな事ってあるよね、って。

感じる「上げ感」=「価値」はそれぞれだから。
だから、ここでは無料でも最後まで受講できるし、
可能であれば、値段を選べる様にしたかったのだけど。。。

例えばー¥222、を支払ってくれる方が居たとしたら、
「猫、いいね。」的な一言をオシャレに伝えるために
この人、クレジットカード情報の入力までしてくれたのかも、ありがとー、
って思ったり。

満額の¥100,000だったら、なんか、託された感あるかな。
多分これ支払ってくれた方も、見えない諸君と繋がってて、
自分だけじゃなくて、多くの人が「お金の支配から自由になって欲しい」、
だから「猫、よろしく。」みたいな。
より広い範囲に対しての願いを感じる。

両者、「お金という器の中身」=「価値」としては「喜び」だと思うんだけど、
その深さの違いが、数字の大きさに現れている感じかな?
いや、「大きいのが良い」と言ってる訳じゃないよ!笑。。。
「昼行性の経済」で、とりあえずの今は、
持ってる持ってないって、運命みたいなところもあるから。
なくても全然OKなんだけど。

ただ、何かに対して感じ取れる「喜びの深さ」って、
人間的な器の大きさを大きくするのかな、って。
感性は働かせる程、人の器を大きくすると思うから、
その器がイコール、お金という道具の器の大きさに合致したらいいよね、って。
近い将来的な希望の話ね。

でも、その希望を形にしてくのが「超・経済」。

ここまで整理した「お金」は、「経済」を動かすための一つの道具だよね。
「人の器の大きさがイコールお金の器の大きさ」これって、「経済」の話。
お金の正体を知った上で、経済って何だろ?って考えてみたいのよ、、

「経済」って何だろな♪ 何だろな♬

まだ闇ってて誰も見えないから、もよおすままに猫が喋るんだけど。
てか、シーンとしてるとこで歌うと響くわ。。。

「お金」を知って「経済」を見つめると、「経済」って、

「何が入った器を受け取って、
 その中身に何を感じて、何を器に入れて与えるのか」
この「流れ」を作っていく事なんじゃないかって。

「手に入れる・持つ」とか、「何をいくら持ってる」って、
固定的な切り離された一人の話じゃなくて、
「受け取って与えてを繰り返す」人と人と人と…の間の「流れ」。
「Not stock, Flow!」「血じゃなくて、血流。それが命」みたいな? こっち。

そして改めて「お金」も、この「流れ」を求める人の心から生まれた道具だって、
「流れを生むために生まれてきた道具」なんだって、そう思うんだよね。

お金の便利な機能として、確かにさ、
「形のない価値」や「その時にしか感じられない心の動き」を、
「ある期間”保留”出来る便利さ」は兼ね備えてると思うんだけど。

でも”ある期間”って本来限りがあって然り。それは、
「価値が生まれた時の感動を、人が蘇らせることの出来る期間」なんだと思う。
でもって、その期間の長さが、お金を表す数字の大きさに反映されるのが、本来のお金と経済なんじゃないかって。つまりはやっぱり、感動の深さ。
感動の深さがお金の器を大きくする。

「なんだ。お金って、本当は貯めるために発明されてないんじゃん!」って。。
流れを作るために生まれた道具の機能を止めたら、そりゃ、、詰まるよ。
詰まったら、やっぱ、、苦しいよ。もよおして行こうよ、って話なんだけど。

流れて然りなものを、何で止めて溜めて、
その無理目な挑戦に躍起になってきたんだろ?

経済は「流れ」なのに、
「自分だけが多く持つ」、「自分のところにいかに留まらせるか」
挑戦通り越して、何で「詰まり」を「幸せ」と勘違いしたんだろ?
自らの腸を自分の手でねじる、痛みしかないプレイを、何で幸せと信じ続けた?

全体「お金、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……。」

自分にとっての「上げー⤴︎」の現れだった数字の「価値」を見失った。
生まれてきた時は超豊かにあった「上げ感」=「価値」を自分が無くしちゃった。
この本末転倒。だけど、今、正直だよね。

「『上げ感』失って、怖い。」「私、無価値で怖い。」
うん、内容は確かに怖い!だけど大丈夫!本音もよおしてる!

お金も働くことも、元々この「上げ感」を得るため。
てか、生きることもそうで、
この「上げ感」を持って流したくて生まれて来たから。。

わあ、猫もさらにもよおしてきたかも。
闇夜にお願い。さっき出したものを流す音下さい!笑。ドジャー(水音)

ありがとうー。
この流れに乗って、「じゃあ、経済って何?」ここの闇も
猫目で見てみようかな。。。

実はメガネかけてないけど、ギラギラギラリーン…


裸眼の猫目で見た闇。「超・経済論」完結まであと一歩。次の教室はこちら ↓

illustration by NEKO Shiroi


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