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「原子レベルの美しさ」

知人と旅行したり、初めてのスタッフとロケに行ったりすると、俺の撮り方に驚かれる。「いつもSNSで見ている写真はこう撮っていたのか」とわかるからだろう。

歩きながら目に入った美しいモノを何でも撮る。じゃあ、美しくないモノはあるかと言えば、ない。とにかく自然も人もモノも、世界のすべては存在しているだけで美しいのだ。

だから「これを美しいと思いなさい」「この店のパンケーキが流行です」という他人の情報で動くことに不思議さを感じない人は、俺が撮っているモノを見て「なんでそれ撮ってんの」と不思議がる。

写真は宗教によく似ていると思っている。あらゆるモノを原子や分子レベルにまで分解して、有史以来その組み合わせでできているつながりや綻びに涙する。

あることだけで奇跡であることを「有り難い」というわけだけど、審美眼という狭い受け止め方ではなく、全部の風景が原子レベルでフラットに見えたときに、美醜を無価値にする価値あるビジューが見えてくる。

冬の空を背景に葉のない枝があり、その前には工事車両がある。カメラを向けた瞬間「そんなの、満開の桜に比べたら絵にならないじゃないですか」という声も聞こえる。耳栓してるけど。

本当にそうかな。桜や紅葉や六本木のイルミネーションだけが美しいのかな。テーマパークに行くことや友だちとの飲み会だけが記念写真なのかな。

俺はこういう風景に向かって「お前ら、写真に撮られたことないだろう」と心の中で思いながらシャッターを切るのだ。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。