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人間のマニュアル:Anizine(無料記事)

パリから戻り、羽田空港からそのまま打ち合わせの場所へ。本のゲラを確認して、翌日は不在の間に進行していた仕事の撮影をしました。普通ならそんなきわどい進め方はしないのですが、パリに行くことが決まってから来た仕事なのと、普通ではないことが起きるのが仕事なので、特に何とも思いません。出演者のスケジュールを数人合わせるというのは至難の業ですから向こうも大変です。結局二日に分けて撮影することになり、今日、無事に終わりました。ホッと一息です。

こういう日常を何十年も過ごしていると、効率というのとは少し違うのですが『合理性』のようなものには敏感になります。仕事の能力というのはどんな職種でも同じだと思うのですが、推論、準備、実行、確認といった、誰でもできるのにそれぞれに違う結果で判断されます。

まず、何のためにそれをするのか、そのためには何を準備すればいいのか、確かな技術で実行したあと、それで選択は合っていたのかを検証する。これらのどれが欠けても仕事はうまくいきません。何も理解せずに取りかかる、準備が不足していることに気づく、当然うまくいかない、なぜ失敗したのかを振り返って反省しない。これが悪いサイクルの典型ですが、先日、あるカフェで起きた出来事がその例に近かったのでメモっておきます。

私はカウンターの女性にアイスコーヒーを頼みました。店内はやや混んでいて、アルバイトの彼女たちが右往左往しているのはわかりました。私のオーダーを聞いた人が後ろから別の店員に声をかけられ、バックルームに戻っていくのが見えました。どういうことでしょうか。どうやらシフトの交代時間だったようです。私の目の前にあらわれた店員は苛立ち気味に「ご注文は」と聞いてきます。「死人の心電図と同じ直線を描いている」と言われるほど感情の起伏がない私ですが、これは我慢できませんでした。

「さっきの店員さんにオーダーしましたよ」

そう言うと、「ですから何をご注文なさいましたか」と聞くのです。「ですから」という苛立ちの言葉を聞いたときに、私のゾンビのような心電図の針がピクッと動き、「彼女に聞いてください」と奥の部屋を指さしました。呼ばれて戻ってきた彼女はもう私の注文を覚えていないと言いました。ふたり並んで「申し訳ありませんが、もう一度ご注文をお願いします」と言ったので、仕方なく「アイスコーヒー」と言い、イラッと来たもののこれでいいかとアンガーマネージメントを終えようとしたそのときです。

「当店は2時間制になっていますので、テーブルの見える位置にこのレシートを置いてください」

と言ったのです。

2時間制なんて、君たちの店が効率よく客を捌く仕組みは知らないけれど、今はこれを渡すべきじゃないことくらいわからないのだろうか、と膝から崩れ落ちそうになりながらも、過去に一度も膝から崩れ落ちた経験はないのでそのまま立っていました。わかるのです。会社のヘッドクォーターが毎日その店のサービスを考え、ブランディングをし、経営しているかは痛いほどわかるのです。でも店頭に立つ学生アルバイトにはそんなことはお構いなしなのです。これは社員教育だけの問題とも言えません。

ついこの間もコンビニに来た60代の外国人男性に年齢確認をして激怒されている店員の動画を見ました。怒った男性は「人間にはアタマがついてるだろう。あんたはロボットなのか」と言っていましたが、まさにここです。アルコール販売などでは明らかに未成年に見える場合を除いて臨機応変に対処するという、マニュアルではない「人間のマニュアル」が必要なのです。それはアルバイト先では教えてくれませんから、家庭で培うより方法がありません。そして、このときに怒っていたのが外国人だというのもポイントかもしれません。日本人はルールで決まっていることに従順であることに盲目ですから、怒りが湧かないのでしょう。

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。