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言葉というツール:すべての定期購読マガジン

いま、写真の本を書いているとお伝えしました。書いているうちに「これは写真以外にも通じる大事な内容だ」と感じたことは一旦横に置いて、もうひとつの本に書くべきこととして貯めています。こちらの本は言うなれば『ロバート・ツルッパゲとの対話』の続編というか、そういうやつです。

自分は言葉を最上位に位置づけているので、くだらない内容なのに、まるで純文学でも書くようにチマチマとしつこく書き直している毎日です。なぜ言葉が大事かと言えば、言葉はツールですから、たとえば腕時計を修理するには専用の精密な工具が必要です。それがないと裏蓋も開かないので専門店で手に入れるしかないのです。

言葉が雑な人は雑なツールでこじ開けようとしますから、裏蓋が開かないどころか、時計そのものを壊してしまう可能性もあります。ここです。目的に合った正しいツールを持っていなければ「時計修理店」は経営できないのです。見落としがちなのは、トラックのエンジンを直していた経験を生かして腕時計の修理をしようという無謀なことを言い出す人がいることで、「私は機械に強い」という雑すぎる言葉の定義は、パテック・フィリップの裏蓋を破壊するのです。

具体的に言うと、文字情報から写真・画像に、音声に、動画に、とネットが進化しているように思えますが、そうではありません。どれをとっても情報の伝達に言葉が介在していることに変わりはなく、言葉がなくていいのは海辺の夕陽をずっと写している環境映像くらいです。これにしてもそれがマウイ島なのか、八丈島なのかという説明キャプションがひとつでもあれば「夕陽への感情」の判断は大きく変わってくるでしょう。

言葉に敏感になるというのは、何も美文を書けということではありません。詩のように美しい言葉を並べたてることだけが、いい文章を書くことではないことも理解が必要です。言葉がツールだと言ったのはまさにこれで、「2ミリのネジがあったら2ミリのドライバーで回せよ」というだけのことなのです。1ミリでも3ミリでも6センチでもダメです。

ある人の文章を読みました。本人は面白い文章を書いていると思っているのが痛いほど伝わってくる典型的なものでしたが、それを読みながら何がよくないのか、自分はそれに陥っていないか、を検証していました。彼の文章には多くの飛び道具が出てきました。ダイオウグソクムシとか、そういう語感が面白いやつです。これがなぜ飛び道具かと言えば、その単語が持っている違和感を記号として使っているに過ぎないからです。料理で言えば白トリュフやハバネロでしょうか。

これを入れたから高級、これをかけたから激辛、という定義の決まったマルチ・ツールを使っても期待以上の反応は返ってきません。「メガ盛り」と言われたとき、その料理が繊細な美味しさを持っていると想像するでしょうか。味は関係なく「馬鹿馬鹿しい量」のことしか言っていません。それはある程度のエンタメとして機能するのでしょうが、本当の料理人はメガ盛りは作らず、味のわかる客のために繊細なお吸い物を仕上げることに命をかけています。客が違うというのは、そこに生まれる経済の差にもなります。

白トリュフは希少で高価だと知られているので、どちらかと言えば単価を上げる役割を持っていますが、ハバネロはただの罰ゲームの面白さにしかなり得ません。旅行や食事などに客がお金を払うのは体験への対価ですから、手間暇かけた貴重な体験には惜しげなくお金を使います。それを言葉で整理しようとすると、雑にはできないのです。整理できていないから現状分析や定義ができない。どんなことにもダイオウグソクムシとか、ハバネロのようなわかりきったアクションを使っていたら体験の対価は受け取れません。客は一度も体験したことがないことを求めているからです。そのためには、誰でも知っている日常的なものなのに、使い方や印象を190度変化させてくれる発見を生むことです。

味噌と大根を使って、今までになかった驚くべき料理を作れるはずです。それが料理の進化で、「大根にハバネロをかけたら面白いよね」じゃないんです。それはただのおふざけであり、和食の進化ではありません。何でもすぐに料理でたとえてしまう癖があるんですが、料理は、素材を選ぶ、技術を駆使して加工する、美的に盛り付ける、食べた人の栄養になる、土地や環境に関わる、などの工程が世界のすべてを表しているので、比喩には非常に便利なのです。「食べられるアート」を作っているのはシェフだけですしね。

話がそれましたが、言葉が映像などによってチカラを失ったと考えるのは、元々言葉に興味がなかった人か、もしくは言葉の効力と定義を間違えている人です。考えてみてください。私たちはあるときからインターネットにつながり、ポケベル、ケイタイ、スマホ、などを次々に身近に使って来ましたが、それらは全部、テキスト情報です。掲示板、ブログ、ソーシャルメディアを見てもわかります。どんなに時代が変わっても、会話はほぼすべてを言葉に頼っています。

「はっぴいえんど」の「ゆでめん」というアルバムをご存じでしょうか。黄色いジャケットに赤で古い店の看板を撮った写真が印刷されている特徴的なビジュアルです。あれは「ゆでめん」というアルバムタイトルではないのですが、看板の文字が大きく書かれているので、みんな通称・ゆでめんと呼んでいます。あまりにも「ゆでめん」という文字の持つ印象が強かったからです。もしかしたらあの黄色と赤の派手な色合いさえ忘れていることがあるかもしれません。白とブルーだったかな、などと思う可能性はあり、それが言葉という速度があり、意味を強烈に規定するツールと、ヴィジュアルの差なのです。

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