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3月12日:Anizine / 写真の部屋

3月11日はデリケートな日だ。

「せめてこの日だけはくだらない文章も読みたくないし、自分でも書きたくない」とTwitterに書いたことに、一日おいてから作家の伊岡瞬さんが同感ですとリプライをくれた。伊岡さんは、繊細さをデリカシーで煮詰めたように思慮深い人だというのをあらためて思い出した。

大きな悲劇があった日を毎年の祥月命日のように思い出すことは人の気持ちとして当然なんだけど、最低限そこには「自分との関わり」が必要だと思っている。前日の3月10日は東京大空襲の日ということだけは知っているが自分では体験していないからあまり実感がなく、この日は俺にとって母親の誕生日である意味の方が大きい。

東日本の震災について書かれたことにふれるたび、その内容を無意識に評価している自分に気づく。文章だけでなく、映像でも写真でも同じだ。それを表現した人の「自分との関わり」が気になってくる。特にソーシャルメディアという場では出来事と無関係な人が何でも言えるから玉石混淆だ。そして玉石の比率はいつでも同じで数万分の一である。ひとつの価値ある玉を見つけるために「他人を傷つける石」による苦痛を味わいたくないとも思う。

ジャーナリズムとは何か。それは情報の運搬能力を持った人が、どこかで起きている悲劇を埋もれないようにすくい上げて人々に知らせることだ。だから「自分との関わり」は上質な共感能力だけでいい。もしくは取材したことによって生まれる関わりがあるのかもしれない。自分の親が死んだ、子供が殺された、そういう人たちが語る悲しみを同じサイズで感じられる人だけがすべき仕事である。災害によって家族が目の前で亡くなった人や、兵隊に銃を渡されて自分の親兄弟を撃ち殺すことを強要されたウガンダの少年たちの気持ちを、体験していない我々はおそらく理解できない。

語り得ないことについては沈黙すべきである、という引用され古した哲学者の言葉の通り、覚悟を持った共感もなく、「悲しいですね。元気を出して」などと軽率に言うべきではないと思っている。俺は何かを表現することを仕事にしてきたけれど、それを倫理的な領域に利用することだけは避けてきた。それは紙よりも薄い表現になってしまうからだ。戦場の報道カメラマンや記者たちは当たり前のように戦地で死んできた事実があるが、そこに住む人と同じように死ぬ可能性を受容して情報を運搬する覚悟が必要なのは当然だ。

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悲劇的な出来事があって何年も経ち、綺麗になった場所に立ち、「ここであった悲劇を忘れてはならない」なんてポエティックな言葉を発することに何の意味があるのかわからない。玉石混淆の話で言えば、本当にそこに価値ある玉が含まれていることは認めた上で、石の無神経さに憤る。

単にくだらなく下品で無恥な表現にはまったく腹が立たない。そこにはもしかしたら無恥や下品さにおいての覚悟があるかもしれないからだ。

しかし、他人の痛みに寄り添う、なんていう誰も否定しようがない大義名分を利用して自分の手柄に替えたいなどという下品な意図があるものには、それが意図的でも無知による無意識でも許したくない。他人の痛みは誰かの娯楽の道具ではないからだ。

震災からしばらくして、俺は気仙沼の鹿折に打ち上げられた第18共徳丸という大型漁船の前にいた。陸にある船を見るのは何とも言えない気持ちだった。そこに一人の女性がいて、何となく話をした。その人はこのあたりでただひとつ残った家の人であることがわかったので、俺は無神経にも「それは幸運でしたね」と言ってしまった。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。