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Anizine

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。
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2023年8月の記事一覧

サボテンと契約書:Anizine

よくできた映画でも「なんだ、夢オチかよ」と馬鹿にされることがあるように、他人の夢の話など誰も読みたくないものです。夢というのは支離滅裂で物語に整合性がありませんから、俗に言う「シュールである」という印象を与え、普段は面白いことを思いつかない人も何かクリエイティブな着地をしたと勘違いしがちなのです。昔読んだジョナサン・ボロフスキーの本は面白かったですけどね。 というわけでさっき見た夢の話を書きますよ。舞台はインテリアデザイナーのオフィスで、目の前に契約書が置かれています。

居酒屋どんちゃんにて:Anizine

自分が立っている場所、それだけを話せばいい。 たったこれだけのことを守ることが、なぜかできないものです。いま写真の本を書いていますが、それは私が写真を撮る仕事をしているからで、レストラン経営についての本などは書けるはずがないので書きません。頼まれもしないですし。しかしなぜかみんな世の中のすべての出来事に対して評論家か裁判官のようなスタンスで臨もうとするんですよね。 とくに中年のオヤジ。 中年がよくないのはその出来事に対して門外漢であるくせに、自分が数十年社会で培ってきた

怪しい気配を感じる中年:Anizine

0歳−10歳 まだ物心がついていない 11−20 人生模索中 21−30 可能性を信じている 31−40 怪しい気配を感じる 41−50 気配が確信に変わる 51−60 確信が諦念に変わりながら定年 61−70 上昇をあきらめハードランディング 71−80 まだブレーキは効かない という「凡人の8段階」があります。ここで重要なのは、凡人は若さという誰にでも平等に与えられた権利にあぐらをかき、無邪気に自分の可能性を信じ、50歳になるまで具体的なビジョンに向けた手を何も打ってい

中年のクライシス:Anizine

平林監督の「中年がいかに惑っているか」という種類のポストを読むたびに、ああ、わかる、と思ってしまいます。私よりかなり先輩である孔子という講師は、人は40歳を過ぎたら惑うことがなくなる、もしくは惑わないようにしなければと書き、ロバート・ロンゴも確か似たようなことを言っていた気がします。 中年のクライシスは誰にでも訪れます。「私は若い頃から頑張ってきたつもりだが、ある程度の年齢になった現在がこれか」と、来た道を振り返るのです。ひとたびその評価をしてしまうと恐ろしい人生反省会が始

判定不要:Anizine

近所を散歩したりカフェでボーッと仕事をしていると、特に聞き耳を立てているわけではないんですが人の会話が耳に入ります。それを書くと「ネタでしょ」「作り話でしょ」と言われるのでここにいくつかまとめて書きます。他人の話に「盛ったでしょ」などと審査員かのように言うのはあまり褒められた行為とは思えないうえ、その人がする話が審査員足りうるほど面白かった試しもないのですが。 その1 若い頃、お金がなかったので殻だけもらってきた海老で出汁をとってスープを作っていた、という人の話を聞きました

ケチャッピーな人々:Anizine

やらなくていいことをしない、言わなくていいことを言わない。 身も蓋もないですが、そういうことです。Facebookのリール、ショート動画などは勝手に表示されて暴力的に目に入ってくるのですが、そこで起きていることは、ウィリーしたバイクが転んだとか、スケボーで転んだ、みたいなことばかりです。それらを見ているとシンプルに「最初からやらなければいいのに」と思えてきます。こどもがする無邪気な失敗はまだいいのです。こどもだから。でも分別があるはずの大人が屋根から飛び降りようとしてずっこ

マンホールと500円:Anizine(広告なので無料記事)

文庫本の平均価格は730円くらいだそうです。我々の時代から比べると高くなった印象がありますし、今は多くの情報がネットで手に入るので「無料」と対決しなくてはならないので苦戦していることでしょう。しかし本の価値はただ情報を知ることだけではありません。わざわざ「紙の本」とは言いたくないのでその言葉は使いませんが、本が持っている世界の価値は別の場所にあります。 学校からの帰り道、ポケットに小銭があるととにかく文庫本を買いました。新潮社の広告に「想像力と数百円」というコピーがありまし

知らない人の誕生日:Anizine

知らない人の誕生日を祝った話を書きますが、余計なことを言われたくないので、ここからは定期購読メンバー限定です。

台詞の人:Anizine

日常的に「演出過多の人」をたまに見かけます。些細なことを大げさに言ってみせるとか、ムヤミに泣くとか。これはもはや「感激している自分に感激している」んですね。感情の自給自足、メタ感激であり、我々はそれを観せられるわけです。秀樹、観劇と言えましょう。 そこでふと気づいたんですが、アートディレクターって「美術演出家」ってことですかね。自分が CM ディレクターをやっていたときは「演出」と呼ばれていたので、ディレクターを演出家だとするならそういうことになりそう。 そもそも演出家と

ヤクザと30万円:Anizine

もうかなり時間が経って時効だと思うので書きます。 ある広告制作会社の女性プロデューサーから仕事の依頼がありました。割とフワッとした説明で、大阪のクライアントで会社のポスターを撮影して欲しいとのことでした。今までそういうモノを作ったことがないので勝手がわからないが、とにかく一度会いたいというので日比谷の帝国ホテルで会いました。 プロデューサーと一緒にあらわれたのは身なりのきちんとした、オオイズミさんという40代の男性でしたが、紳士的な物腰の向こう側に、どこか鋭い印象も受け取り

古賀さんのメロディ:Anizine(無料記事)

高円寺のいつもの配信で、古賀史健さんに会った。どこかでチラッとご挨拶をした記憶はあるんだけど、ちゃんと話すのは今回が初めて。 古賀さんの近著である『さみしい夜にはペンを持て』を読もうと思ってアマゾニングしていたのだが、お目にかかるタイミングまでに読めていなかった。でもね、「あなたの新刊、読みました。あそこが面白かったです」と言われるのは書いた方からすると結構苦痛なのです。書き終わったものは自分の手を離れて読者のものになるから、どういう気持ちで書いたんですか、とか言われるとた

コンプライアンス無視で:Anizine

友人と話していて、「ある程度まともな神経を持っている人はまるで悪口を言わなくなったよね」という話題になった。たとえ政治家や芸能人などでなくても、何かマズいことをソーシャルメディアで書けば糾弾される。 もちろん「まともな神経と教養のある人」は、誹謗中傷をしたいわけではない。ただ発言に保険をかける意識が強すぎて、そちらの方が気になってしまう。ただ「世界中の国で」と言いたいだけなのに、「国と認められていない場所も含まれているじゃないか」という批判を避けるために、「世界中の国と地域