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古賀さんのメロディ:Anizine(無料記事)

高円寺のいつもの配信で、古賀史健さんに会った。どこかでチラッとご挨拶をした記憶はあるんだけど、ちゃんと話すのは今回が初めて。

古賀さんの近著である『さみしい夜にはペンを持て』を読もうと思ってアマゾニングしていたのだが、お目にかかるタイミングまでに読めていなかった。でもね、「あなたの新刊、読みました。あそこが面白かったです」と言われるのは書いた方からすると結構苦痛なのです。書き終わったものは自分の手を離れて読者のものになるから、どういう気持ちで書いたんですか、とか言われるとただ恥ずかしいんです。その感覚が古賀さんと共有できるかどうかはわからないにしても、最新刊を読んでいなかった、というのは自分の中であまり問題ではなかった。

幡野さん 古賀さん

古賀さんと話して感じたのは、天文学的に相槌が気持ちいい、という発見だった。センエツながらどこか自分の感覚と似たようなスピード感があって、言おうとしていたことを先に言われることが短い時間の中で何度もあった。古賀さんの歌うような話し方は、つまり強引に「古賀メロディ」と言いたいだけの表現なんだけど、まさに音楽を聴いているみたいに心地よかった。

初めて話す人のことが自分と合うかどうかは、だいたい数秒でわかる。声、話し方、場の読み方、音量、それらが合わないと我慢をすることになる。若い頃は我慢も大事かなと思っていたけれど、この歳になると残り時間が少ないから苦手なものや人に割いている時間はない。好きなものにだけ時間を使いたいのだ。だから「この人が好きか」を見極めるセンサーだけはどんどん進化していると感じる。

古賀さんのように頭のいい人と話すと、自分が手応えのあるバカだとバレてはいないかと心配になる。それがいいのだ。しかし頭のいい人ほど謙虚だしエレガントだから、他人をバカ扱いしない。そしてまた好きになるのだ。

人と近づくとどんどん調子に乗るタイプがいる。最初は玄関で立ち話をしていたのに、いつしかリビングルームにいて、そのうち風呂に入っていたりする。フレンドリーと傍若無人は違うのだ。

とにかく、久しぶりに話していて100%気持ちがいい人に出会った。ありがたいことだ。大人になると、出会いとは自分の名刺にかかっている。名刺というのは会社名が書いてあるやつじゃなくて、自分が何をして、どういう理想を持っているかだ。水曜日の深夜だから格好よく言ってしまうと、剣豪がすれ違う瞬間みたいなことで、刀を抜かなくても戦わなくても力量がわかってしまう。自分を片方の剣豪に喩えてしまった恥ずかしさに耐えきれないからこの辺でやめるけど、ついでに言っておくと私は他人の名前で商売をしたくないので、誰かについて書いた話は無料記事にしている。

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。