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ジブリ私記・シーズン1

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ぼくの知っているジブリのことを書きました。
運営しているクリエイター

#宮崎駿

ボーナストラック~ジブリ私記15

ボーナストラック~ジブリ私記15


 気づいている方も気づいていない方も、このノート(note)にはマガジンという名の「記事を束ねる機能」がついていて、ぼくの目安では15本前後でひとつのマガジンとしてくくったらどうかと考えて、書き続けていました。
ひとつのマガジンとしてそれ以上の数の記事を入れ込むと、ボリュームが大きすぎるような気がしますし、書き手の自分としても目標としてひと区切りにできる(=頑張れる)のは15本が精一杯かなという

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仕上げのエプロン~ジブリ私記14

仕上げのエプロン~ジブリ私記14

 あれはいつからだろう。
 宮崎さんがエプロンをつけて作業しているのは。
 少なくとも『もののけ姫』のころは着用していなかった。
 逆にぼくは『もののけ姫』のころ、いま宮崎さんが着用しているのと同じタイプのエプロンを着けて作業をしていました。
 なにか関係があるのかな?

 ぼくが『もののけ姫』制作時、エプロンを着用するようになったのは、入社最初の3ヶ月間が研修期間で、作画、仕上げ、撮影へと回った

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ご指名を受けて~ジブリ私記13

ご指名を受けて~ジブリ私記13

★すでに実力をつけたスタッフが口約束だけでスタジオを渡り歩き、ジブリに出入りするのは珍しくないだろう。
 そういう意味では、れっきとした新入社員(正規社員)でありなら、試験も面接も一切受けず、いわばフリーパスの状態でジブリの採用の門をくぐった者は珍しいかもしれない。
 ぼくは村塾が終わった年末に宮崎さんから電話をもらい(留守電だった「あ~、宮崎です。電話ください」とだけあった)、ジブリに行ってみる

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反ジブリ、反クライスト~私記11

反ジブリ、反クライスト~私記11

 ぼくはジブリの若手演出家養成塾『東小金井村塾』で塾長の高畑勲にかみつくように討論を挑んだ。その果敢さがスタジオにも広がり、宮崎駿はぼくをスタジオに雇い入れることにもなった。
 あれから四半世紀を経て、宮崎さんがぼくを雇い入れた企みとぼく自身の意気込みはすれちがっていたと言わざるをえない。
 宮崎さんは「ちょっと生意気な、見込みのあるやつ」ぐらいな気持ちで雇ったのだといまなら思う。自分にはかなわな

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いろいろな暴露~ジブリ私記10

いろいろな暴露~ジブリ私記10

 ジブリが発行している雑誌(フリーペーパー)『熱風』に一年間連載をもたせてもらってからもう3年たっても、まったく反響ないまま終わったものだなあ。
 あれはどこかで書籍化してほしい気持ちはあったものの、どこも引き受けてはくれないだろう。事の成り行きで昔のジブリの給与明細の画像をネット上でさらしてしまったからだ。あれにはもちろん理由があるのだけれど、それは今はおいておいて、ジブリに対してあんな真似をし

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あだ名と仮説~ジブリ私記(7)

あだ名と仮説~ジブリ私記(7)

 前回はぼくが宮崎さんにつけられた「あだな=逸材くん」の去就について書いた。
 それにしても、ひとりの青年がある会社に新入社員として入社したら、期待の意味をこめてあだ名をつけられる。
 まあよくあることだろうけど、ジブリファンからしたら、「あれれ?」とか思ったり、はしなかったでしょうか?
 そう『風立ちぬ』とまったく同じシチュエーションですよね。
 青年堀越二郎が飛行機製造会社に入社したとき、その

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ひそやかな通達~ジブリ私記(6)

ひそやかな通達~ジブリ私記(6)

 もう30年も前のこと、ジブリはおそらく、将来の演出家になるだろう人材を発掘するという隠された目的をもちながら、表面上はあたかものんびりした構えでアニメ塾『東小金井村塾』を開いた。
 しかし塾生に選ばれた十数名の若者の誰もが「この塾で認められれば、もしかたしたらジブリに入社できるかもしれない」と考えていたはずだ。
 しかしそうした思惑は塾の開口一番、塾長の高畑さんの口から否定された。「そんな期待を

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どうこう、したとて~ジブリ私記(5)

どうこう、したとて~ジブリ私記(5)

 この『私記』を書くまでには、実にずいぶん時間が必要だった。せめて連載の序盤くらいはしっかり段取りを立てようと、あれこれ考えていたのです。
 この『私記』を書くにあたってはいくつか動機があったのだけれど、そのひとつに、ツイッターでアップした例のジブリの給与明細のことが念頭にあったのです。

 ふとある日、気づくのです。私がこのツイッター(X)上でその存在を知られているのは、本領のアニメ論考ではなく

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こうなった、いきさつ~ジブリ私記(4)

こうなった、いきさつ~ジブリ私記(4)

 このつづきものでは、くりかえしをいとわないことにします。
 全部を読んでくれるマメな読者はめったにいなかろうし、同じ事件、同じ光景を何度でもすこしずつさまを変えて描くのはこのつづきものの「試み」にふさわしいと思うからです。
 なのでこれから何度でもくりかえし書きつけるだろうけれど、ぼくがジブリに入ったきっかけになったのは宮崎さんから「お前には才能がある」と言われ、「だからお前はジブリに入るんだ」

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新しい帰還~ジブリ私記(3)

新しい帰還~ジブリ私記(3)

 ネット界隈ではぼくは『ジブリの給与明細を暴露したひと』ということになっているのだろうけど、ぼく自身は『20年の雌伏のときを経てジブリに還ってきたやつ』だと思っている。
 ぼくは一度ジブリに雇われた。普通の新入社員じゃない。宮崎さんから口説かれる形で入社したのだ。しかし理由はいろいろあるが、ぼくはそれから2年とちょっとでジブリを辞めた。その後、ぼくはジブリに入社する前に想定していた大学院に入り直し

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もう、そういう関係じゃなくて~ジブリ私記(2)

もう、そういう関係じゃなくて~ジブリ私記(2)

 ジブリにはうらみつらみは沢山あるけれど、いいところもいっぱいあった。
 たとえば「平等」。ふつうの会社のように目上のひとを「部長」とか「課長」とか役職で呼ぶことがない。みんな「さん」づけ。ペーペーの新入社員でも監督のことを「宮崎監督」ではなく「宮崎さん」と呼んでいた。「鈴木プロデューサー」ではなくてただ「鈴木さん」。スタッフ同士も基本的に「さん」づけだった。私は新入社員だったから「石曽根クン」と

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2年とちょっと~ジブリ私記(1)

2年とちょっと~ジブリ私記(1)

 これからしばらく私が体験したジブリのことを書き継いでみるとしよう。
 と言っても私がいち新入社員としてジブリに入社したのは『もののけ姫』の製作時だから、もう30年近くも昔のことをふりかえることになる。
 しかも私がジブリに在籍していたのはわずか2年とちょっとにすぎない。何十年も係わり、籍をおいた古参のスタッフからすれば、貴様になにを語りえようかと言われてもしかたない。それはそうだと気も引ける気持

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