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人間は特別なのか

我々人間は地球上の生物の頂点だろうか? 

知性があることは凄いことなんだろうか。 

体力面でいえば我々は哺乳類の中でかなり弱い存在だ。体の大きさが大体同じ、秋田犬と比べてみよう。 

秋田犬 VS 人間(裸) 

目の前の肉をよーいドンで奪い合う。
趣旨がわかっている人間がまず肉に到達する。その反応を見て秋田犬が襲いかかる。人間は奪われないように手を高くあげて届かないようにする。だが秋田犬は鋭い爪で裸の人間皮膚を引っ掻く。足を噛む。たまらず人間は肉を話す。次は人間が奪い返す番だ。秋田犬は肉を咥えている。近づこうとすると唸って威嚇する。しかし勇敢にも肉をつかんで引き離そうとする人間。だが離れない。秋田犬の顎の力は相当なものだ。ならばと腹を蹴飛ばす。一回目は当たるかもしれないが2回目は当たらない。秋田犬は全速力で逃げる。人間は追いつかない。秋田犬の優勝。。 

と、こんな感じだろうか。
しかし秋田犬もアフリカのサバンナに解き放たれたら、ハイエナやライオンといった肉食動物に奪われる。 

つまり身体的には人間は決して恵まれていない。 

もう少し別の角度で考えてみる。 

人間に限らず生物は食べないと死んでしまう。
我々は毎日3食食べて生きている。
遭難者が水だけで頑張っても14日間と言われている。 

生物は食べないと死んでしまう。 

さらに
酸素を吸わないと死んでしまう。 

何とも簡単に人間は死んでしまう。
たった5分くらい息ができないだけで死んでしまう。人間にとって酸素と栄養素の取得は生きていくための絶対条件である。 

では何故必要なのか? 

外部から栄養を取り入れないと生命が停止してしまうという仕組みはあまりにも未完成ではないだろうか。 

しかしこの外部摂取によって生命を維持するという仕組みは地球上の生物全てに備わっている。植物ですら土壌の栄養と水がなければ枯れてしまう。 

なにかここに一つの真理がないだろうか。 

生命誕生の過程で、この仕組みがきっと理にかなっていたのだ。 

唐突に地球を考えてみる。
地球はお腹が空くことはあるのだろうか?
つまり、外部から何か摂取しないと地球で居られなくなるようなもの。。 

少し考えたが特に無いように思う。
つまり地球がこの世界のベースであって、みなもとである。 

我々は地球の物質から生まれ、地球の物質に戻る。 

その循環システムの一部に過ぎない。 

雨が降り、川になり、土を流し、海となる。
海は水蒸気となり、雲となり、雨となる。 

この循環と、外部からの摂取システムとに相関があるように感じる。 

地球の循環システムはエネルギーの循環ともいえる。 

ただただエネルギーが対流している。
連鎖とも言い換えられる。
1つの現象が他へ影響し、そのエネルギーが伝搬していく。 

エネルギーが突然消えてしまうことは無いということだ。 

我々がゲームをするときを考えてみる。
プレステ内の半導体に電流が流れてCPUが動作し、キャラが動く。
この時、流れた電流分の電力を消費する。
この電力相当分のエネルギーはどこに行ってしまったのだろうか? 

もっとミクロの視点で見てみる。
電流とは電子の移動である。
しかし移動といっても実際に電子という物質が移動している訳では無い。プラスがマイナスに、マイナスがプラスにと属性が変わるだけだ。
ドミノを想像してほしい。ドミノを倒すとドミノ単体の位置は変わらないが、「倒れている」という属性が移動している。 

この属性を変えるのにエネルギーを使う。
そして属性を変えた際に「熱」に変わる。 

プレステやスマホが熱いのはこのせいである。 

そしてその熱は空気を温める。 

つまりエネルギーの循環がおきている。 

話を人間に戻す。
人間を動かすのは筋肉だ。
筋肉を動かすのは脳から出た電気信号、筋肉周辺の神経群を通る電気信号でピクンピクンさせている。 

ということは電流が流れてエネルギーが熱に変わる。運動すると暑くなるのはこのせいかもしれない。 

つまり、人間は動くだけでエネルギーを熱に変えている。人間は物質なので質量は限られ、その分エネルギーも限られている。 

そこで外部からエネルギーを摂取するのだと思う。 

それが酸素であり、食べ物である。 

生物が動くためにはエネルギーを外部から貰わないとならないのだ。 

無から有は生まれないということか。 

そうすると生物は循環システムの一部といえる。
地球内でエネルギーのやり取りを行っているのだ。 

そう考えると、我々は知性があるとか、体力がどうとかどうでも良くなる。 

我々は地球の一部に過ぎないのだから。

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