見出し画像

愛しのスワンのつがい 15年間の思い出ありがとう


 四国の山奥を出て就職し、全国を転勤して都会や田舎をいくつも居住体験。
 定年間近になり、春から秋の温暖化のムシムシに耐え切れなくなり、移住先は「山陰の鳥取県西部~島根県中部まで」と決めていたものの、さらに絞り込むために、脱サラ退職前後から車中泊で山陰をさまよいました。

 岡山県の倉敷市にすんでいたため、高梁川沿いに北上して峠を越え、日野川を下り米子市入り。ここから東西へと車で探索(車中泊)を数カ月。
 そして米子市から淀江町へ到達。ここの海岸で車中泊したときに、すぐ近くの宇田川(地元の呼び名は大川)で、野生のコブ白鳥のつがいとアヒル3羽に出会いビックリしました。
 結局は脱サラして「涼しくて雪下ろしのない」鳥取県西部の淀江町へと移住。

 やはり、この淀江町(米子市)という日本の始まり(邪馬台国)の遺跡群の独特の雰囲気。霊峰・大山に守られて開けた淀江平野。絶景の日本海というシチュエーションも終の棲家「淀江町」に定着した理由ですね。

 コブ白鳥やアヒル達にエサやりを開始しましたが、市のほうからの依頼で、鳥取県に出向き、保護計画書を提出して「宇田川での河川使用許可」を取得。

 鳥に全く興味も接点もなかった私ですから、ここでのスワン(コブ白鳥)のつがいとのつきあいが15年も続くとは正直思ってもいませんでした。

画像1

画像2


 正確には、スワン(コブ白鳥)のメスのヒミコとは15年間の付き合いでしたが、オスのキタローは、ヒミコの再婚相手で6年間のつきあいでした。
 残念ですが、去年(2018年)の2月(ヒミコ)と6月(キタロー)に相次いでなくなりました。

 ヒミコ(メスのコブ白鳥)が老衰死したのは、去年の2月8日(2018年)。
これは前日7日の様子です。
 積雪の中、ほとんど盲目のヒミコは、エサをウミネコ達に横取りされていて、私がウミネコを追い払い、ヒミコの背中の雪を取り除いてやりました。

画像3

画像4

画像5


 そして2月8日の昼過ぎ。宇田川の河口の河原に降りると、倒れたヒミコの姿が。あわてて近寄り抱き上げると、まだかすかにもがいていました。
 そのためすぐに家に連れ帰り保温して体をなでてやりました。
でも、30分後には静かに息をひきとりました。
 ヒミコの死骸は、アヒル達が眠る河口のヒミツの場所に埋葬しました。
そこはヒミコの愛した穏やかな日本海や宇田川が一望できる浜辺です。

画像6

画像7

画像8

画像9


 オスのキタローは、2018年6月4日の午前9時過ぎに、宇田川中流の堤防道路で事故死
 連絡を受けて駆け付けた時には、すでに死骸は市が回収したあとで、対面や確認はできませんでした。

6月に事故死する前のキタロー(オスのコブ白鳥)です。

画像10

画像11

画像12


 去年の1月、宇田川近くの淀江漁港でウォーキング中の私を見つけたキタローが飛来着地したものの、砂浜じゃなく道路だったため、足に少しケガを(涙)
 すぐに救出して海に放してやりました。足のケガは少しの出血だけですみ元気一杯でした。

画像13


 また、キタローの足に釣り針の仕掛けが何重にもからみつき、足首が切断しそうになり、県の担当者のチームと一緒に捕獲して救助もしました。


 いろんな思い出のあったスワン(コブ白鳥)のつがいとの満ち足りた日々の記憶。
 いつの日か、再び淀江町の宇田川に、別のスワン(コブ白鳥)のつがいが飛来することを期待して、毎日夕方には、200羽近いウミネコ達に餌やりを続けています。

 スワン(コブ白鳥)達のいなくなった宇田川の河口(鳥取県米子市淀江町)

画像14


 宇田川の中流にあるコブ白鳥達の住処だった場所

画像15


頂いたサポートは、生き物ポランティアのエサ代金などに充当させていただきます。 かわゆいウミネコ200羽達や川鵜、ハト達、7頭のヤギ達の笑顔に癒されます。