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「無計画をゆるす土」ー映画『パラサイト』随想ー


 「計画」ー。彼ら家族が半地下から這い出て、「寄生」できたのは、緻密な「計画」のおかげだった。あまりにもテンポよく、でもいつ崩れるかわからぬ不安を抱えながらも、常に意識してきたのは「計画」だった。

しかし、人でごった返す避難所の狭い体育館で、父親はこのようなことを言う。

”「計画」を立てなければ、何が起きても大丈夫だ。何が起きても気にしない。何が起きてもなんのこっちゃない。”

 「計画がないことが計画だ」…この映画で繰り返し問われた「計画」。それがあまりにも無残な形で、失われてしまう。そのときわたしは思いがけず、ある人から聞いたひとつの言葉を思い出した。

「この社会にはそれを許す土があまりにも少ない」


 計画をしないこと。見通しを立てないこと。その場の出会いで変化すること。それがこれからの私の生き方のつもりだった。

 しかし、それが許されるのは、快適な土に潜っているから。その変化を許す土に恵まれているから。

 つまり、何をしても再生可能で、失敗すら許されるような、ぬくぬくとした恵まれた環境。無計画でも行き当たりばったりでも、どん底までは落ちずに、簡単に這い上がれる環境ーそれがわたしにとっての土だ。そうだ、そうだったんだ。

 この映画に出てくる家族は、文字通りコンクリートに囲われている。反地下室で、それでも笑って、ずる賢く、なんとか這い上がりを目指して、計画を立てて、生きている。

 その計画が失われたとき、すべてが音を立てて崩れたとき、限界が見えてしまったとき、無計画を選ぶ。それは、死や自爆に等しいことだと、私はすぐにわかってしまった。あの家族には、無計画が許されないのだ。

 私が生き方に最近決めたモットーと、同じことをお父さんは言ったのに。どうしてこんなにも違うのだろう。驚いた。同じことをしていても、向かう結末は全く違う…それはなんと無残な叫び。声のなき、信号。

 ーあの家族には「無計画を許す」があまりにも少ない。

 いつかその賢い計画が、崩れていくと。そんなこと観客は絶対にわかっている。それがいつ、どんなタイミングで来てしまうのか、少しの期待を持って見守っていた自分の身に降りかかった、あまりにも大きすぎる言葉。

 無計画…!楽観的に捉え、生き方のキーワードだと思っていたその言葉が、全く異なる文脈で使われてしまった。私とあの家族の異なる点はただひとつ。「それを許す土」があるか、ないか、だ。

 土を自在に掘り、餌を求め、居心地の良い場所に作り変えていける私ーつまり、恵まれた環境で、失敗もやり直しも自由に繰り返すことができ、無計画が許されるーと、

 コンクリートに囲われているがゆえに、または地下に潜っているがゆえに、計画を細かく立て生き残りゲームに参加した挙げ句、結末は「その場にとどまるしかない」(お父さん)「無情さと無理な希望を抱えるしかない」(息子)の二択しかあの家族。

 あの家族は、無計画が許されない。無計画をゆるす、柔らかな土がないのだ。

 ああなんて、なんてことだろう。私は涙が止まらなかった。理由は謎だった。同情?いや、ちがう。悔しさ?いいや、なんだろうか。感謝?もっとちがう。この世界の不条理さに泣いたのかもしれない。誰のせいでもないいくつもの悲劇を、私は…ただ飲み込むことしかできなかった。


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