昨日の3枚の障害カードと今朝見た夢を合わせて考察したこと
こんな夢を見ました。
そして目覚めてから、昨日の3枚のカードについて、5は大アルカナの法皇で、7は戦車につながっているということに気がつきました。
昨日、ノートに障害カード三連発と書いたときには、このことを失念していたという感じで、目覚めてからそのことを考察に入れなかったことに気がついたのでした。
さらには、大アルカナ5の法皇は14のアートに通じているし、7の戦車は16の塔にも通じているのだと思いました。
なので、ディスクの7もカップの7も、戦車であり、塔でもあったという事になります。たしかにそうかもしれません。
だから車がひっくり返るという夢を見たというのは、たぶん間違った解釈ではないように思います。
車=戦車がひっくり返るのは、まさに塔が崩れるということでもあると、教えてくれていたのでしょう。
そういう意味では、まだそのプロセスの中にいるということかもしれません。終わらせ切れていないということを指しているようにも思います。
それならば、無理に前に進もうとせずに、壊れていく塔を眺めながら、空が澄んで星が見えてくるのを待つ必要がある時なのかも知れません。
まだ拾い切れていないモノがあるのかも知れないと思うと、昨日今日のどんよりした気分というのもなんとなくわかるような気がします。
しかし、それならば、ほんの少しずつでもお米の片づけをすることを通して、空は広がっていくのかも知れないなと、ふと思ったりもします。
そして、その先、未来の位置にソードの5ということは、ただの敗北ということではなくて、そこに法皇がいて、そのさらに裏にはアートがあるということになります。
法皇Hierophantはこの三次元時空世界のルールを思い起こさせてくれます。その元締め的な立ち位置の法皇という存在は表側のルールという感じがします。
表から見たルールとそれを裏から支えている原理との間にはギャップがあって、その矛盾したところを坩堝に入れてぐつぐつ煮ることで、よりハイパーな、超法規的な、アート的な、そんな存在者が生まれるのかも知れないと思います。
ふと、通りゃんせのメロディーが聞こえてきました。そして、数日前に見た月のカードを思い出す。
月の門をくぐることを躊躇するのは、このまま一気に走ったらひっくり返るという風に感じているからなのかも知れません。
チャリオットがタワーに通じるということの意味は、とっても意味深です。
車で走り始めて、なぜそんなに簡単に横転したのかわからないけど、そんな夢、そうそう見ないわけで、やはりそれはそれでインパクトのある、象徴的な夢だったと思います。
夢の中では束縛から離れようとしていたのでしょう。もう一台の車とはもうさようならをして、走り出したところだったはずで、もしかしたら、もう一台の車はこの後、どこかのお店に入って一緒にご飯でも食べようと思っていたかもしれません。でも、こちらの車はもう二度と合流しないつもりで走り始めたのでした。
運転していた人がくたびれているのがわかったので、運転を交代した後で、車は見事にひっくり返ったわけです。リカバリーしようトとトライしたけど、うまく道路に復帰できなかったという感じ。
もう一台の車って誰が運転しているのか、何の象徴なのか、そこはとても大事なところだと思うんだけど、それは思い出せないです。
ただ、想像するに、それはディスク7とカップ7と関係していると思われます。結局の所、僕自身がどうしたいのかという事の確認が必要なのかも知れません。
そして、夢の後半で、車を見失うというのも、先が見えていないということを教えてくれていると思います。ここに来て、なんだか情けない展開ですが、理想通りいかないのは、むしろいいことなのかも知れません。それは、今までのパターンとは違うことをやろうとしているからという事だとも思えるのです。
もっと丁寧に、もっとしっかりと深く、ちゃんと掘り下げて、発掘作業をする必要があるから、このようなややこしい展開を見せてくれているのだと思うのです。これは、なかなかいい感じなのではないでしょうか? すんなりいくより、紆余曲折ある方がおもしろいと思います。
昨日の、あとから1枚引いたカードがワンドのナイトであったということは、そのあたりに本来の僕のエネルギーはあるんだろうと思います。
そのために、塔が崩れていくプロセスをしっかりと見て、埃が静まり、見通しが良くなり、星がしっかりと見えるようになってから、そろそろと車を走らせればいいのだと思います。
結局昨日の結論と同じですが、もう少し、余裕を持って今やっていることを掘り下げましょう。占星術講座のノートを取り、復習をし、トートタロットについても、アレイスタークロウリーの本を読んだりする時でいいのだと思います。
そして、小周天、大周天の実践を通して、体内の環境を整えましょう。今はまだ、そういうことを集中してやるべき時だと思います。そうしている内におそらくそれほど遠くない未来にはいろいろと見えてくるときが来るだろうと思います。
3枚の障害カードと車絡みの夢との合わせ技という感じで、けっこう見つめることに時間を使いましたが、「通りゃんせ」の童謡が聞こえてきたように、まさに月の門をくぐろうとしているときですから、このくらいの紆余曲折はあってしかるべきなんだろうと思います。
こういうプロセスを文章化するということ自体、良い勉強になっていると思いますし、決して無駄ではないと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?