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どうしてモノを作るのだろうか?と冷静に考えてみることにした。

どうしてモノを作るのだろうか?ということについて、ふと考えてみた。

私はたいてい何かを作っていた。時々ブランクがある。ブランクというのは、例えば仕事が変わったり(とは言っても本業はすでに四半世紀近く続けているが)家族に大きな出来事があったりと、その”時々”は様々だが、それでも再び何かを作るという人生と言ってもいいだろう。

ビーズのリングを作ってみたり。

なぜ、どうしてモノを作っているのか、と私は考えたのだろう。

実はここ数年、モヤっとする文章を目にした。
『コロナ・緊急事態宣言で家にいても暇だからハンドメイド作家になりました』
『ハンドメイド作家になって、家にいながら副業・副収入GET♪』のような広告。
(別に副業や副収入を否定しているわけではありません)

そっか、ハンドメイドって副業だよな(そういえば私も本業である会社には、副業を申請している)でも私自身は割と軽い気持ちでモノづくりを始めてすでに数十年、いつの間にか収入に結びついていたっけな、私……とも考えた。この手の広告を目にするたびに。

しかしふと思う。
モノを作る理由って、人それぞれじゃない?
生活費の足しにしたい人もいる。大作家になって華々しく世の中に出たいという人もいる。趣味に域でいいという人もいれば、それこそ暇つぶし程度で充分という人も。

どれが理由だって構わない。
では、なぜ自分の事であるのに、自分はどうしてモノを作るのか?ということが気になっているのか、ということだ。それは、自分は自分に対して漠然とした”自分はモノを作っている”という大まかなぼんやりとしたイメージしか持っていないからだ、ということに気づく。

それはどういうことか?

例えば、あの人は毎月必ず新作を定期的に発表をしていて、モチーフや雰囲気も統一している、またあの人は、大きな対面イベント出店を重ねて、そのために作品をたくさん作っている、ある人は個展の開催のため、またある人は、売り上げをすべて何らかの形で寄付をするため、と、見回すとみんな具体的な目標をたてて活動しているようにも見える。(実際に目標をしっかり持ってブレていないのだろうけど)


レジンで蝶や景色を閉じ込めてみたり。


では、他の人の活動に目がいってしまう、ということは、自分と他人とを比べているからなのだろうか?さらに言うと、自分は他の人よりも下なのだと自己肯定感を低く感じているのだろうか?

もし、今直感的に答えを言うとしたら、それは”ノー”だ。

そもそも自分自身、自己肯定感が低いとは思っていないし、他の人の作るものはジャンルや素材、だいいち作り手さんが違う、という段階で、比べたって仕方がないものであり、それ以前に”比べる対象”というものでもない。
(仮にこの私が自己肯定感低めの人間だとしたら、自己肯定感高めの人っていうのは、恐らく宇宙に飛び出して行ってるね、高く飛びすぎて)

それでもなお考える。

私はどうしてモノをつくるの?
モノづくりをしたいの?

お金が欲しい?もちろんお金は無いよりはいいけど、生活するのには全く何も困っていない。最近お騒がせの物価上昇だって、あんまり気にせず生活できる。(じゃ、作ったものをタダで配れよ、なんて言っちゃいやよ)誰かにプレゼントするために作る、それはあり。どうしてプレゼントするのか?それは、その相手に喜んでもらいたいからに他ならない。

作ったものが売れるとは限らないのに、どうして作るのか?
逆に考えれば、受注されなければ作らない(作れない)なんていや(結局は感情論)

と考えると…私はモノを作ってお金を手に入れるよりも、もっと大切なことのためにモノづくりをしているのではないか?という結論に辿り着きそうだ。プレゼントをした相手が喜んでくれること。プレゼントをする相手は、別に他の誰かじゃなくたっていい。その対象が自分自身であっても構わない。

モノづくり、それはおそらく自分自身に与えられた、最大級の自己肯定感を高めるためのプレゼントじゃないだろうか?
(もちろん売れないよりも、たくさん売れるほうが嬉しいんだけどね)

続く。

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