マガジンのカバー画像

私と母の戦闘日記

21
1話から全てまとまっています。まだお読みで無い方は、ぜひ、こちらから!
運営しているクリエイター

#私と母の戦闘日記

#12 私と母の戦闘日記

私は、中学生の時と同じ危機感を感じていた。 再就活をし直すことを、ずっと言い続けてくる家族に、私はどんどん耐えられなくなっていた。 家族とのこんな内容を友人に話すのも嫌だったが、それ以上に、アウトプットしないと自分がダメになる気がして、友人にも相談するようになった。 友人たちからは、気にしなくていいのでは?就活し直したけど、落ちてしまった、と言えばいいのでは?そういうアドバイスをもらっていた。 実際に就活をしていないけれど、親には「就活をしたけどどこにも受からなかった

#13 私と母の戦闘日記

母は、1つの言葉を1つの意味でしか解釈できない人であった。 だから、やり取りはずっと続く。 そのやり取りは、言葉が変わっているだけで、実際は同じことを永遠と繰り返していた。私としては無駄な時間と労力に思えた。母が、内容が変わっていないことを理解していたのかは不明だが、私は次第になんでこんな人が母親なのだ、と失望していった。 お腹を痛めて、辛い思いをして産んでくれた母親に、「失望」など、あり得ない事である、と分かっていても、その思いは拭えなかった。 母だけであれば、まだ

#14 私と母の戦闘日記

就活したと、嘘をついた一件があってから、母は私を信用しなくなった。 就活について話から、就活について調べたようで、ベンチャーそのものについても批判するようになっていった。 『そもそも、経団連に入っている企業受けてないじゃない!』 そんなことは関係ないのに・・・。 とは言っても、受けてないことは事実である。 しかし、自分の就活のスタイルと性格性を考慮した上で選んでいたのだ。 私はそう思ったが、『逃げてるだけじゃない!』など言いたいことばかり、言われていた。相変わらず

#15 私と母の戦闘日記

会社に連絡したものの1週間ほど、連絡がなく、母と連絡を取り合う日々が続いていた。 『洗脳されているんだから、目をさましなさい!...弟も含め3人で話しました。入社は認めません。...就活浪人か院に残るかを希望します。』 『家族を裏切ってまで、企業を選ぶのですか? お父さんが言ってました。宗教にはまった家族を救い出そうとしているみたいだ。テレビの世界のようだ。とにかく目を覚まさせないと! そのために、弁護士に相談することも考えています。』 今思えば、散々な言われようで

#16 私と母の戦闘日記

私は迷っていた。 本当に辞退していいのかどうか。ずっとずっと。悩んでも答えは出ないと分かっていても。 母はずっと、内定辞退をしてくださいと、伝えて来ていた。 これ以上の母の暴走を止めるために、そして何より自分がこのストレスから解放されるには、辞退をすることが最良な選択であると分かっていた。しかし、私は自分なりに就活をし、必死に掴んだ内定をそんな簡単に手放すことは出来なかった。 辞退をすることで、今の自分を守ることが出来る。 ただし、一生後悔し続け、トラウマのように母

#17 私と母の戦闘日記

母が一人暮らしの家に来てから2日目。 「研究室の片付けしてくるから、学校行ってくる。」 そう言って、私は家を出て研究室に行き、片付けをした。もう、戻ることはないと思いながら。 先生にも挨拶をし、片付けを済ませ、私は帰宅した。その後も、ゴミを捨てたりと動き回っていた。すると、母が話しかけて来た。 『ちょっと座りなさい。本当にこれでいいの?』 「何が?実家に連れて帰るんでしょう?私は、いいと言ったよ。」 『貴方の為を思って言ってるのよ。このまま研究室をやめてもいいの?

#18 私と母の戦闘日記

母は帰ってからも、求人を送ってきていた。 そして夜には、”ハワイで働く”と見出しの入ったURLが送られてきていた。 (いつ、海外と言った。いつ、ハワイと言った。一言も言ってないじゃないか。どうして、全て全く違う意味で返ってくるのだ・・・。) 流石に、怒ってしまった。 ここで海外に行ったもんなら、さらに自分の人生がどうなるか予想もできない。その時の私には、それでもいいか、なんて思える精神的な余裕は全くなかった。そして、そのURLの後に文章が続いていた。 『今から準備し

#19 私と母の戦闘日記

人事担当の方に、内定辞退のメールを送ったが、その後、電話をして人事担当の方と話すことができた。 内定承諾をし、働きたいと思ってもらえているのであれば、その意志を貫いて欲しいですし、その為のバックアップは可能な限りします! そう言ってくれたのだ。 私からしたら、この時点で”働く”ということがよく分からなくなっていた。正直な話、もう、ストレスの方が強く、働きたくなくなってきていた。先の事ではなく、今あるものを全て手放したいと思っていた。しかし、来年の保証を失うことはそう簡単

#20 私と母の戦闘日記

そして、夜中の話し合いは始まったのだ。 『何で辞退しないの?今辞退するのが、これ以上迷惑をかけなくて済むのよ。何でそんなに諦めが悪いの?こんなに周りに迷惑かけて悪いと思わないの? あなたが諦めれば済む話なのよ?どれだけ無様な格好、晒してるか、まだ分からないの?』 話は、あなたが悪いのだ。あなたの責任だ。それだけだった。 (何で、真夜中から自分を攻め続けられなければいけないのだろう。) 「申し訳ありませんが、絶対辞退しません。無様だろうが、何だろうが、関係ありません。

#21 私と母の戦闘日記

次の日、片付けをしに私は必要最低限のものを持って学校に行った。 「今から母が福岡に連れ戻すそうです。急で申し訳ありませんが、やめさせてください。」 先生にも驚かれたが、急にそんなことは認められないから、一回親御さんと話そうか、そう言ってもらえた。すぐに学校から母に連絡するも、一向に母は電話に出なかった。 「一旦家に帰って母に伝えます。」 そう言って家に帰ったのだが、母からは、 『自分が辞退しないから、こうなったんでしょ。自分でどうにかしなさいよ。』 という言葉を貰