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#21 私と母の戦闘日記

次の日、片付けをしに私は必要最低限のものを持って学校に行った。

「今から母が福岡に連れ戻すそうです。急で申し訳ありませんが、やめさせてください。」

先生にも驚かれたが、急にそんなことは認められないから、一回親御さんと話そうか、そう言ってもらえた。すぐに学校から母に連絡するも、一向に母は電話に出なかった。

「一旦家に帰って母に伝えます。」

そう言って家に帰ったのだが、母からは、

自分が辞退しないから、こうなったんでしょ。自分でどうにかしなさいよ。

という言葉を貰った。呆れるしかない。

とりあえず、学校に戻り先生に伝えたが先生も忙しく動けないため、先生との話し合いは保留になった。

その間、私は企業側に連絡をとり今の状況を説明しようとしたものの、人事担当は外出していた。

しかしその頃には、私は、恐怖心に取り憑かれていた。監視する、自由はない、などと言われてから私の精神状態はおかしくなっていた。

誰かに監視されている気がして、母が学校に押しかけてくるのではないかとハラハラしていた。研究室の人にも、私の所在は明かさないで欲しいと頼んだ。

要するに、身の危険を感じていたのだ。

今、家に戻ったら、私の自由は一切なくなる。

そんな考えがずっと頭から離れず、ギリギリのところでどうにか精神を保っていた。

大学のパソコンで全て連絡を取っていたが、友人にも状況を説明し、連絡を取っていた。

私は、以前から大学の学生相談を利用していたが、今回も緊急事態である、ということで急遽、予定を入れてもらった。とりあえず心を落ち着かせ、また研究室に戻り、今度は人事担当と話した。そして、私は今後どうするかの方向性を学生相談の内容も含めて決めた。

子供とは言え、成人しているのにも関わらず、内定を取り消そうとされるのは人権に関わるのではないかという観点から、法律的にどうにかできるかもしれないときに備えて、証拠を集めることにした。

その後、先生とも話し、とりあえず、母を説得することにしたと伝え、また連絡する、ということで落ち着いた。

ここまで駆け回って、もう夕方であった。

証拠集めのためにも、録音は必須であると考え、友人からボイスレコーダーを持って家に帰ったのだ。

すると、机の上には没収したスマホと、一枚の手紙が置いてあるだけで、母の姿はなかった。

『中学の時にあなたの友達に言われた”悪代官”も悲しい言葉でしたが、大学院の友達の言っている”DV”や”虐待”

私とんでもない母親なんですね。

本当に、親失格ですね。

さようなら。

会社の内定からこんな事になるなんて・・・

私にとっては悪魔の会社です。

どうぞ会社と頼もしいお友達に守られてください』

私が学校のパソコンで連絡していた内容をスマホの通知画面で読んだ母は、こんな手紙を書いたようだ。私は、スマホの通知をオープンにしていた事、パソコンとの連携をそのままにしていた事を悔やんだが、後の祭りだった。


こうして、母からの連絡は、ぷっつりと途絶えた。



私と母の戦闘日記 

ー完ー


ここまでお読みいただきありがとうございました!

一旦ここで、終了とさせていただきます。

この後も、連絡はあったのですが、一旦の区切りとして終わらせていただきます。

この後は、「その後・私と母の戦闘日記」として、今後の流れを書いていきたいと思いますので、お付き合いいただけたらと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。


あきは

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