辞世の句
相変わらず鉛色の空。
いつ雨が降り出してもおかしくはない。
まるで悲しみに堪えているように感じる。
泣きそうな空はまだ涙を堪えている。
私は学生時代から本が好きだった。
また文学とはいい過ぎだが、
古事記や古典や和歌などもそれなりに好きだった。
いま希死念慮に取り憑かれた状態だと
笑ってしまうぐらいに辞世の句ばかりが浮かんでくる。
私は特に西行法師の
願はくは 花のもとにて 春死なむ
その如月の 望月のころ
という歌が昔から好きなのだ。
どうせこの世からなくなってしまうのであればたくさんの花の下で。
歌い人が世俗を捨てた西行だからなのだろうか。
美しい歌だと思う反面非常にもの悲しいとも思う歌だ。
この歌に私は自身を重ねてしまう、
一人孤独に消えゆくならば私も咲き誇る花の下で朽ちて行きたい。
そうしてゆっくりと土に帰り、咲き誇る花たちの一部になりたいと。
よく辞世の句というと、織田信長の
人間50年 下天のうちをくらぶれば
夢幻のごとくなり 一度生を受け
滅せぬもののあるべきか
や吉田松蔭の
身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちぬとも
留めおかまし 大和魂
芥川龍之介の
人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず
など割と勇ましい辞世の句が目についてしまう。
しかし、私はあまり勇ましい辞世の句は好みではない。
戦前の軍部が戦争の為にねじ曲げた印象も若干あり、あまり好きになれないというのもある。
神風特攻隊であまりにも有名な歌に
散る桜 残る桜も 散る桜
良寛和尚
のような歌だ。
このように戦争中に都合よく歪曲されてしまった歌は枚挙に暇がない。
そういえば江戸時代の国文学者、本居宣長もその犠牲と言える。
敷島の大和心を人問うば朝日ににほふ山桜花
神風特攻隊の隊名にもつけられてしまった悲しい歌の代名詞だ。
本来の意味からすればとっても美しい歌だと思う。
大和心とはどういうものか、と人から聞かれたならば、朝の太陽に照り映えている山桜の花、と私は答えるだろう。
大和心とは本来なんなのか?
解釈は人それぞれあると思うが、すなおで清らかな心ではなかろうかと私は思う。
話が逸れてしまった。
辞世の句についてだった。
今のと言ったらおかしいが、私はまだ生きている。
思うことは言葉にあまり力がなくなった気がする。
何というか非常に言葉が軽いのだ。
SNSの発達もその原因なのかも知れない。
言葉と言うのは時としてその人の生き方を大きく変えてしまう力がある。
ただ私はやはり今の時代にそれを感じることがない。
私が言葉を単なる道具(ツール)として日本が教育していると感じている事もあるのかも知れない。
また今回のことで自分さえ良ければいいという人の考えに打ちのめされたからかも知れない。
何故か今日は辞世の句について感じるものを書いてしまった。
やはり希死念慮が強いせいだろう。
強い消失感に対して最後に何かを残したいのかもしれない。
人の定めなのか業なのかわからないが。
無意識に整理をしたいのかも知れない。
私自身も何故だかよくわからない。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
細川ガラシャ
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?