2回目の手術後

1回目の手術のあとは地獄みたいな時間を過ごしたけど、ここのICUはそこまで苦しくなかった。ナースステーション横のICUに運ばれて、ベッドは3つくらいしかなくて、静かで明るくて落ち着ける場所だった。患者は私しかいなかったと思う(あんまり記憶ない)。傷は若干気になったしお水も飲んじゃダメだったのが少ししんどかったけど、氷食べまくって耐えた。ICUに家族のみんなと親友が来てくれた。1回目の手術の時よりはまともな顔だったと思うけど、どうだったのかな。術後のケアも対応も環境も全然前の病院と違った。長く入院するならこっちの病院がよかったなって何度も思った。少しずつ目は覚めてきたけど頭はぼんやりしていて、傷だけじゃなく体のいろんなところが痛かった。一般病棟に移ってから気づいたけど、まずひざと腕にあざがあった。あと頭の左右こめかみにネジをとめたような穴が開いていた。6~7時間の手術の間ずっと固定されていたのだと思う。あざも消えたし穴ももうほとんどわからない。当時はちょっとびっくりしたししばらく痛かったけど。一般病棟には翌日に移って、その日に上半身が動かせるようになった。その次の日から車いすに乗れるようになって、トイレに自力で行けるようになった。車いすに移動できるのなら立てるのでは?と思っていたら、次の日はもう立てるようになった。唯一おかしくなったのは目だった。手術の前にも言われていたけど、もしかしたら目が見えなくなるかもしれない。半盲になるかもしれない。なんかしらの後遺症は残るかもしれない。でも生き残れれば万々歳。それくらいはしょうがないと思ってと言われていた。私は仕事柄目が見えないというのは結構致命的ではあるけど、だからと言ってもうどうすることもできなかった。とにかく生きるためにどんなリスクを負ってでも手術すると決めたから。うっすら目が覚めた時に見え方がおかしいのは起きたばっかりだからだと思ったけど、次の日になってもなんだか違和感があって、でも自分では気づかなかったけどトイレに行ったときか、誰かに言われたかで気づいた。左目の黒目の位置がおかしかった。眼球がうまく動かせなかった。焦点がうまく合わなくて物が二重に見えた。眼球を上に向けることができなくなっていた。眼鏡をしていなかったから自分ではあまり気づかなかったけどおもったよりいろいろ見えにくくなっていて、とにかく黒目が左右違う方向を向いているせいで人にぎょっとされる見た目になったことが気になった。右目は比較的ましで正面は見ることできるし正面以外も見たい方向に一応黒目が動くから上向けなくてもそこまで違和感は強くなかったけど、左目は眼球というか黒目というかが左下を向いてしまったままうまく動かせなくて、見たいものを見てはいるし見えてもいるけど、片目だけ斜視みたいな感じで黒目はずっと左下を向いていた。何か月もかけて少しずつ治っていったけど、今も見えにくさというか、違和感は残っている。上向くのもだいぶできるようになったけど、重いものを持ち上げるような感じで、その状態を長く保つことができない。映画館は大きいスクリーンのところで一番後ろじゃないと最後まで見るのがきつい。基本的には少し下を向いているのが楽みたい。あとは一つのものを瞬間的にみるというか、顔を動かさずに正面以外にあるものにピントを合わせるのもすごく難しくなった。これは正面でも疲れている時は難しくて、すぐに複視になってしまう。ものが2重に見えてしまう。左右での見え方に差がありすぎるからなのか、もともとの目の悪さも相まっているのか、脳のほうの情報の処理がうまくいってないのか原因はよくわからないけど、これはたまに煩わしいなって感じることがある。あと疲れの指標になっている部分もある。特に左目はちょっとでも正面からずれるとすぐ複視になるから顔ごと動かす必要がある。今でこそだいぶ良くなってきたけど、早く動くものを目で追うのも苦手になった。最初は車から見える景色を全く追えなかった。だから車とか自転車を運転しなくなった。車は手放した。自転車もまだ結局乗ってない。もうできると思うし、実際に車は運転もしてみて問題なかったけど、なければないでまだそんなに困ってないから今はいいかなって思っている。来年は自転車買おうと思っているし、将来的にはまた車も運転したいと思っている。唯一後遺症といえるのはたぶん目の見え方だと思う。
目でいうと、瞳孔反射も弱くなったせいで看護師さんたちに術後何度も確認された。小さい懐中電灯みたいので光を当てられて、首をかしげる看護師さんを見ながらなにかおかしいのだろうなと思っていた。かといって自分ではわからないしなにもできないから、されるがままだった。
ただそれ以外はいろんなところ痛くなりながらも体の異常って特になくて、自分で歩けるようになるまでほんとに3日くらいしかかからなかったし、あっという間に点滴も外れた。ICUから一般病棟に手術の次の日に移ったけどその時はまだ傷口の下のほう(首側)の出血が収まってなかったらしく、頭のところにペットシーツみたいのを敷かれていた。それでも出血がひどいから、留めなおされた。主治医の先生がいなかったみたいで代わりの女の先生がちょっと下留めなおすね、みたいなこと言いだして、え?あ、はい。ってこれもあれよあれよという間に話が進んで、また麻酔なしで縫った。外れかけていた一番下(首側)の1針をとって、でっかいホチキスみたいので2針留めなおした。痛かったとは思うけど、これも痛みを感じるより衝撃が勝って、え、嘘いきなり?!って驚いている間に痛っ痛って思って終わった。ちなみに傷は1回目が10針くらい(7~8センチ)、2回目が20~23針くらいだった(あんまちゃんと覚えてない。)2回目の手術の傷はかさぶたになってときどきボロボロ剥がれたりしていたけど、今はもう触ればなんとなくわかるかなくらいまでになった。1回目の手術の後は触った時に穴が開いているのがはっきりわかったけど、時間がたつにつれ穴はどんどん埋まってきている。今はまだ触ればはっきりわかるし隙間はあるみたいだけど確実に隙間は埋まってきているし、周りの骨?が盛り上がってきた感じがする。どういう原理で隙間が埋まってきているのかは謎だけど、いつかはぴったりくっつくのかな、と思っている。
2回目の手術の後は自分で触っても隙間なんて全く分からない。でもこないだのMRIの結果を代診の先生とみているときにこの骨の隙間が切ったところだね~っていわれてすごく驚いた。白い骨の間に線みたいにつながってない部分があって、あ、ここはつながってないってはっきり見えた。触った感じとしては全然わからなかったけど、むしろこっちの傷のほうが、骨がつながっていないことを実感した。
術後の検査もして、病室をさらにナースステーションから離れたところに移動することになって、窓が大きくてとても快適な部屋だなぁと思った矢先、退院しようかって先生が言い出した。え?!立って歩けるようになったの昨日だけど?!ってなったけど、主治医の先生が播種の可能性を考えると早く放射線治療に移ったほうがいいと判断して、退院が決まった。ちょうど弟とおじいちゃんが来てくれていた。退院する日の午前中に抜針をした。痛い?って先生に聞いたら少しだけ痛いかもって言われたけど、実際は結構痛かった。針も多かったし。見えないからどうやってとったのかよくわからないけど、針を真ん中で切った破片が見えたから切って抜いたのだと思う。針いる?って言われたけど断った。私にはもう、必要なかったから。結局一番過ごしやすかったこの病院にいたのは、地震の前の数日を合わせても10日間くらいだった。ほかの二つの病院の環境が合わなかったこともあって、ここが一番つらさは感じなかった。治療としては一番ハードなことしたのに。あっけなく退院した翌々日くらいから、またしんどい入院生活を始めることになった。

手術追記メモ

最初の手術やった時はやる前の検査を前日の夜にして、病院内を移動するのがすごく怖かった。術後も管つけたまますぐレントゲン撮ったりした。苦しすぎて痛すぎてしんどすぎて気絶するかと思った。2回目の手術の時も瀕死の状態で造影剤いれてMRIとか撮った。正直しんどすぎた以外の記憶はあまりないけどなかなかに壮絶な体験だった。


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