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まるめがねはまるで まる2


あ、空が青い

圧倒的な美しさは
伸ばした小指のもっと先にある
昨日よりも空が高い

学校に向かって自転車を走らせる
アスファルトの凹みに合わせて
背中で揺れるギターがストラップに伝わる
今日は駅前で歌う

ペンケースの隙間からドラえもんのペンが
覗き込んでいる

私はドラえもんが嫌いだった
母が亡くなってから嫌いになった
でも、ドラえもんが悪いわけじゃない

もしも母が生きていたら

母を亡くしてから私たち家族は
色を無くしてしまった

人が死ぬということがどういうことか
もう分別がついていたし
入退院をくり返すたびに、じわりじわりと
死にのみこまれていくように弱っていく姿を
見ていたから、どうにもならないことは
きちんと分かっていた
…つもりだった

もしも生きていたら
もしも生き返ったら
そんなことは叶わないのに、日々願わずには
いられなかった

ある日、祖母の家に行く道すがら
ドラえもんの単行本を買ってもらった
読み始めて数分たって、私は大声で泣いた
お葬式の時は喪服を着た大人たちに
気圧されて泣くことが出来なかったから
母がいなくなってその時はじめて泣いた
自分でも驚くくらい、そして我を忘れるほど
大声で泣いた

のび太が、もしもボックスで簡単に願いを
叶えてしまえているのが羨ましかった

もしもお母さんが生きていたら
もしもお母さんが生き返ったら

どんなに痩せてしまっても、
病院の消毒の匂いが強くても、
飛び込むとあたたかくてお母さんだけの
匂いがした

会いたい
そう思うと涙が止まらなくなった

父は急にどうしたのかと
大層驚いたようだったけれど
途中駅で降りたベンチに私を座らせると
私が泣き止むまで隣で黙っていた
その間、私の右側は父がぴたりと
くっついていて、とてもあたたかくて
全部涙になって消えてしまうのを
繋ぎ止めてくれているようだった

どれくらい泣いていただろう
父はそっと笑って、パックのいちご牛乳を
差し出して

「さびしいよな、そりゃ」
と、つぶやくように言った

父の泣き声のようなひと言だった

泣きすぎたせいで、しゃくり上げることが
止まらなかったけれど少しずつゆっくりと
話しをした

「確かになあ、のび太はずるいなあ」
と少しおどけたあとで父は言った

「どんなに、もしも、と言っても
変えられないよな」
「それは、もしもボックスがないから
じゃなくて過去は変えられない
みたいなんだよな」
「だからなのか、僕たちの足は前に歩くことは
出来るけれど、後ろ向きに歩くのは
向いていないんだよ」

うん、と自分で話したことに頷いて
息をついてからまた口を開く

「でもさ、『もしも』って言い出した時から
願いや夢が始まってるんだ」
「もしもって言い出した時にさ、自分に
魔法をかけてるんだよ。今とは違う
分かれ道が出来て、実現した時の自分自身が
動き始めてる」

「そう思わないか?
だから、『もしも』は大事にしような。
今日から『もしも』は未来に向かって考えよう」

「でも、お父さんも、うん、お父さんも
もしもお母さんが生き返ったらいいな
ってめちゃくちゃ思うぞ…』
「……一緒だな」

そう言って、持っていた缶コーヒーを
飲み干して、ゴミ箱に捨てに行った
鼻をすする音がした

大きな丸眼鏡をかけて
説明のつかないバツの悪さを隠して
それでも見上げた空はとても青い

どこまでも続くような線路の下で歌をうたう

あの日、もしも、もう一度好きだと言ったら
どうなるだろうと思って戻ったから
私は今日も手紙を書く相手がいる

もしも、この話をしたらどんな顔をするだろう
父と同じあたたかさで受け止めてくれるかな
ドラえもんのボールペンを選んでくれたことは
本当に嬉しかったんだよってちゃんと伝えられる
だろうか

もう少し黙っておこうかな
私たちは一緒に知りたいたくさんのことが
もっともっとあるだろうから

お腹空いたな、今日彼は何を食べるのだろう
頭上で二時限目の終業を知らせるチャイムが鳴った


《つづく》


すーこさんに朗読して頂きました


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