学校で声を出さない希江ちゃんと友達になって分かったこと
小学校4年生のころ、クラスに全く声を出さない希江(きえ)ちゃんという女の子がいた。
私は声の大きな活発な子が苦手だったこともあり、おとなしい希江ちゃんのことが気になるようになった。
希江ちゃんは個人的な「おはよう」も言わないし、授業中みんなで声を合わせて何かを言うときも黙っていた。
最初は不思議に思ったけれど、一切話さないというちょっとミステリアスな部分が私の好奇心を刺激して声をかけてみたいと思うようになった。
2人1組
学校ではよくある「2人1組になって」という指示。
先生はいとも簡単にあの指示を出すが、あれは結構酷なのである。
●だれも私と組みたくないかもしれない。
●あぶれてしまったら恥ずかしい。
●あぶれてしまう子がかわいそう。
私のようなネガティブで考えすぎてしまうタイプの人間にとっては、いつもビクビクする瞬間だった。
その2人1組になる時、いつもあぶれてしまいがちな希江ちゃんにアプローチしたことがあった。
普段全く声を発さない希江ちゃんに大きな声で話しかけるのは良くない気がして、ささやき声とジェスチャーで「私とでもいい?」とドキドキしながらもさりげなさを装って聞いてみた。
希江ちゃんはちょっと驚いた後うなずいてくれた。ほんの一瞬だけ笑顔を見せながら。
いつもうつむき加減の希江ちゃんの笑顔を見たのは初めてだった。
いやちゃんと顔を見たのも初めてだったかもしれない。
結構色白で可愛い子なんだな。
それが希江ちゃんの第一印象だった。
その日から休み時間は希江ちゃんと過ごすようになった。
たまに放課後も遊ぶようになった。
私がなんでもないことを一方的に話すだけだったけど、希江ちゃんはうなずいたりはにかんだり時々笑顔になったりして聞いてくれる。
話をちゃんと聞いてくれることが心地良かった。
その一週間後くらいだろうか。
希江ちゃんは私にだけささやき声で話してくれるようになった。
耳を近づけないと聞こえないくらい小さな声だったけれど、天にも昇るくらい嬉しかった。
誰に何を言われても決して声を発しなかった希江ちゃんが、私にだけは話してくれる!
そう思うと自分がクラスの中で特別な存在のような気がしたのだ。
先生や他の子とのやり取りの橋渡しも私がするようになった。通訳ができるなんてカッコいいと調子に乗って悦に浸るようにもなった。
だから数ヶ月後に、希江ちゃんが私以外の女の子と話している姿を見たときはショックを受けた。
希江ちゃんは私だけの友達じゃなくなっちゃったと、当時10歳の私は完全に嫉妬してしまったのである。
初めての仲たがい
そのうえ希江ちゃんの些細な話し方のクセが気になったりするようになり、ある日の下校時に険悪なムードになってしまった。
「ねえ希江ちゃんさ、前から気になってたんだけどさ」
「うん、なに?」
「なんでスプーンのことスップンて言うの?」
希江ちゃんは食器のスプーンのことをスップンと独特の言い回しをする子だったのだ。
いや今となってはそんな言い回しなどどうでもいいし、どんな会話でスプーンという単語が使われたのかも覚えていない。
でも私は希江ちゃんにとって自分だけが特別な友達じゃないことに感情を害していた。それでそんな小さな間違いを指摘したくなったのだと思う。
「え?なんでそんなこと言うの?私の言い方そんなに変?」
「変だよ、スップンなんて。あといつも声が小さすぎるし」
声が小さいことなんて言うつもりなかった。
なんなら私は声が小さい子と仲良くしたいはずなのに。
自分の心中とは裏腹な辛辣な言葉が他にも何個か出てきてしまった。
そして言ったそばから猛烈に後悔した。
希江ちゃんははっきりと傷付いた顔をしていた。
見る見るうちに目が濡れて、あふれたいくつもの涙が色白の頬をつたって落ちた。
ああ、私は希江ちゃんを泣かせている。信じられない。どうしてこんなことになったの?
謝らなきゃと思うのに、泣きながら走って家に帰っていく希江ちゃんをただ立ったまま見送ってしまった。
次の日、希江ちゃんは学校を休んだ。さらに次の日もその次の日も。
私は罪悪感で眠れなくなった。絶対私のせいで希江ちゃんは学校に来たくなくなってしまったのだから。
一度だけ遊びに行ったことのある希江ちゃんの家に謝りに行くことにした。
仲直り
一人で謝りに行くのは怖かった。希江ちゃんのお母さんに叱られるかもしれない。
重い足を引きずってやっとのことで希江ちゃんの家にやってきた。心臓がバクバクする。そういえばなんて謝ればいいのかも考えてない。
チャイムを鳴らすと希江ちゃんのお母さんが出てきた。
一度遊びに行ったときに会っているので、私のことを覚えていてくれた。
「来てくれたの?ありがとう」と私をリビングにあげた。
そして「希江呼んでくるね」と言って奥に消えていった。
私は緊張し顔面蒼白だったに違いない。
とりあえず希江ちゃんのお母さんは怒っていないことにまず安心した。
希江ちゃんは私が言ったひどい言葉をお母さんに話していないのだろうか?
奥の部屋から見覚えのある服を着た希江ちゃんが出てきた。
私に初めて声を聞かせてくれた時もこの服着てたな・・・と漠然と思った。
罪悪感と恥ずかしさでどういう顔をしていいのか分からず、なんだか急に取ってつけたような笑顔で「あ、希江ちゃん、風邪治った?」などと軽く言ってしまった。
風邪なんかじゃないのに。
私が傷付けたのに。
「うん・・・」
希江ちゃんは表情もなく、声も以前より小さく、なによりあまり話してくれなくなっていた。最初の頃の希江ちゃんに戻ったようだった。
希江ちゃんのその距離感と能面のような表情が心に突き刺さった。
どんな言葉で大人に叱責されるよりも、彼女との友情が振り出しに戻った感は深く心をえぐり、後悔の感情がほとばしった。
次の瞬間自分の泣き声にびっくりしていた。
こんなに激しく泣いたのは幼稚園のころ以来だと思った。それも人の家のリビングで。頑張って泣きやもうとしているのになかなか嗚咽が止まらない。いつの間にか希江ちゃんのお母さんに背中をさすられていた。
「希江ちゃんごめんなさい」
一番言いたかったことを、顔を覆い泣きじゃくりながら言った。
希江ちゃんはもう私とは話してくれないかもしれないと思うと悲しくて仕方なかった。
全く声を聞かせてくれなかったあの頃に戻ってしまうかもしれないのだ。
「泣かないで。もうスップンって言わないから」
希江ちゃんが涙で濡れた私の手を握りながら恥ずかしそうに言った。
普通に話してくれた安心感で全身の力が抜けて、私はさらに泣き出してしまった。
私は希江ちゃんみたいな繊細な子が好きだ。
どう考えても気が合う。
でも傷付きやすくてすぐに貝みたいに心を閉ざしてしまう。
関係がすぐに振り出しに戻ってしまう。
だからこそ大切に扱わなきゃいけなかったんだ。
勝手な嫉妬心で粉々にしちゃいけないんだ。
そんな教訓が私に刻み付けられた。
希江ちゃんとはその日なんとか仲直りできた。
学校にも来るようになり、それ以降も私とは変わりなく小さな声で話してくれた。
5年生になってクラスが変わって遊ばなくなってしまい、6年生では私が引っ越して転校したのでもう連絡も取れなくなってしまった。
今私は家族以外の人がいると声が出せない「場面緘黙(ばめんかんもく)」という症状を持つ娘を育てている。
希江ちゃんはきっとこの「かんもく」という症状だったのだと思う。
繊細で敏感な子に多いらしい。
そんな昔の友達と自分の娘がリンクして、不思議な気持ちになる。
たった1年間だったけれど、希江ちゃんと友達になれてよかった。
今希江ちゃんはどうしているのかな?とたまに考える。
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