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ぼくとおじさんと - 不思議な夢を見た

番外編①不思議な夢を見た ep.1

暮れも押し迫った12月も30日の朝、幾度か目覚めてトイレに入った後、暖かい体温の残る布団に潜り込み、まどろみ続きの夢の世界に入っていた。

僕は知らない男の後に従っていた。
男が「今度、卵が半額になったよ。」と喜んでいる。
庶民の基本的な食べ物で、日本の戦後でいえばほとんど値上げもしていなかったのが卵だ。
もっとも、安く生産するために卵鶏の大量飼育と卵の大量生産で低価格を維持しているのだがその結果、産卵のため集団での囲い飼いと低価格肥料で栄養価の低い卵が問題になっていた。
鶏を牧草で遊ばせ、自然の環境で飼われた鶏の卵が美味しくてその分単価が高いのはしょうがないと思っているが、少ない所得で安い卵しか買えない僕のいる格差社会の底辺の悲しさがそこにあった。
その男の話を耳にして、近いうちにスーパーに行って卵の値段を確認してみようと心で思った。
夢ではその男と歩いていた。夢の中では景色は無く、ぼんやりした薄明るい中をのんびりと歩いていた。
初めて会う見知らぬ男だったが、僕にとっては仲の良い友達のような存在に感じていた。
やがて人が群れて集まっているところに出会った。
「なにをしているんだ。」僕は男に尋ねた。
「新商品が出たんだ。プリンのお店だよ。」男は関心のないように通り過ぎた。
商品を手にした人は、美味しそうにスプーンでプリンを頬張っている。
「お金を払ったように見えなかったが。」僕は男にそれとなく聞いてみた。みんな手にバックも何も持っていないのだ。財布も見当たらない。
「お金? そんなもの必要ないよ。みんなタダだよ。」
「タダ!」僕は驚くよりも当然なことを当たり前に感じていた。夢の中では、そこに住むもう一人の自分がいて、夢を見ている僕はそんな世界にたまたま紛れ込んで驚いているが、そこに住む夢の住人はそんな僕をなだめているような感じである。
タダで当然なのだ。
夢の中の住民はタダで当然な世界に住んでいる。そこでは所有欲も社会的な階差も無いようだ。
現実世界の僕は、その驚きからか突然目覚めた。それも心地よい目覚めだった。
タダの世界をもう少し探索してみたかったが、夢の中の僕は当たり前のことをその男に聞く勇気がなかった。
夢の中のその男との会話とそれに続く僕の行動では会社や働く場所があり、男も夢の中の自分もそんな中で仕事をしているようだ。
ただ、会社や仕事が僕の知っている会社や仕事とはかなり違うものであるようだ。それは夢の中の僕から感じたことで、現実のぼくが知っている世界とはまるで違うものであるようだ。
夢の中の僕はその後あれこれやったのだが、物がタダだという事だけが強く印象に残った夢だった。
目覚めた僕は、改めてもう一度、夢の世界の探索をする事が必要だと感じていた。
夢上りの不思議な心地ではいるのだが目は冴えていた。しばらく天井の隅にまどろむ明けた太陽のぼんやりした照り返しを眺めていたのだが、おもむろにベッドから起きてベランダで一服しながら今見た夢を反芻してみるだけの好奇心はあった。時計は午前6時を指していた。
もう一度同じ夢の続きを見ようと思っている。僕は昔から、上手く寝る段取りがあり、見た夢の後追いは得意なのだ。僕は期待して布団にもぐった。
だが、同じ夢の続きを見ることができなかった。夢とは一度きりの戯れなのだろうか。
ただ、もう一人の自分がいて、まるで違う世界なのだろうが、この僕が驚いて知りたがっていたことが新鮮だった。タダでものが食えるなんて最高じゃないか。そして夢の中の僕が味わった楽しい環境。
今僕が暮らしているのは、アルバイトを生業としたその日暮らしで、スーパーの特売や町中のショーケースに飾られているケーキが美味そうでも、いつもポケットのじゃり餞を握りしめては違う商品に目を移すことが習慣になっている。
旨いものをタダで食えるなら、そんな世界に生きてみたい。僕は未練がましいのではない。
夢で見た世界には、この僕が立っていたのだから。その感触が未練なのだ。

横で寝ていた文乃はいなかった。朝早く自分の仕事に出かけていた。
今日はバイトがない。家でうだうだしているのも嫌なので散歩に出る。
駅前の公園のベンチでバーガーでも食べようと、通りを抜けて駅にある販売店に向かった。
自宅横のマンションの通りすがりに、いきなり「よお! 武志! 元気か。」と大きな声がした。
死んだ親父の末の弟のおじさんがベランダの古い椅子に腰かけ、僕に声を掛けてきたのだ。
「いつも元気ですよ。」僕は軽く返事をしたが、おじさんが手で招いているので、そのままマンション一階の玄関からおじさんのいるベランダに向かった。おじさんの座っている向かい合わせの小さな椅子に腰かけて小さなテーブル越しに対面する。見渡すと一階のベランダの庭は手入れが行き届いて、冬でも枯れ草のあちこちに緑の草影が見える。
おじさんは僕が小さかった時からの遊び相手で、塾の先生をしていた事もあって受験の相談にも乗ってくれた気心の知れたおじさんだ。
「そうか、元気か。しかし、朝からしけた顔しているが、今は何やっているんだ。」
そうか、おじさんとは暫く会っていなかったのかと思って改めて四角張ったその顔を覗くと額にしわが出来ていた。
「何やっているのかと言われても、今もコンビニでバイトしてますよ。」
「そうだったな。就職しなかったんだよな。」
「なんか、決められたコースを歩かされているようで、お決まりの就職戦線とかのコースも同じように嫌だったからね。おじさんに似たのかな。」
僕はため口でおじさんとは話せる。おじさんはワハハと大口で笑っていた。
おじさんはよく、俺たちの青春時代は明日が輝いていた、明日はもっと良くなる、だから俺たちは明日に向かって生きていた、と話していた。学生時代には学生運動か何かやっていたようで、昔のことを話すときは顔も紅潮して時には語調も粗く興奮する。
大学に通っていた時には、そんなおじさんが時には羨ましくもあり、またうざったくも感じる事もあった。
今の僕には明日を考える事はただ一つ、バイトの予定だけだ。
学生時代にはおじさんとの話が何故か夢を運んでくれるようで楽しくて、よく時間つぶしにおじさんの住むマンションに通ったものだ。大学を出てからは、そんな余裕も今は無くなっていた。
「おじさんは今、何をしているの。」僕は話を切り出した。「おじさん版般若心経解釈はまとまったの。」
「ワッハッハ、覚えているのか。」おじさんは声がでかい。特に笑う時には最大限の呼吸法で息を吐きだす。
「本にするつもりでまとめてはいたが、一緒にやる相方が忙しくてね。今は最後的な資本主義の危機が脳裏を離れないので、そのことを考えている。」
「おじさんはいつも色々なテーマを持っているようようで、僕はそのエネルギーにいつも圧倒されているのだけれど、今度は現代社会がテーマですか。」
「今だけじゃない、いつもそうだ。いつも危機感を持っているんだ。武志は感じないのか。」
いきなり話が僕に返ってきた。
「危機感と言われても、生まれ住んでいるこの世、この社会しか知らないから、これが現実だと思うしかないんですよ。今更、現代とか危機とか言われてもね。」
「格差社会の中で、明日をも知れずに不安の中で生きることに何の疑問もわかないのか。俺には不条理の社会が許せないし、それを作り出しそれを容認している人間が許せないのだ。」
おじさんは興奮してきている。おじさんが怒っても、世の中変わる訳でもないのだ。
「そうそう、今朝、面白い夢を見たよ。」おじさんの矛先を変えようと思って今朝見た夢の話を持ち出した。
自分の見た夢を他人に話すなんて、普段あり得ない事だ。言う機会があったとしても「面白いね」で終わるのがおちだ。そして時間が立つと、そんな夢さえ忘れてしまうのが次のおちだ。
だから人に話すなんてことは鼻から考えていなかったが、おじさんの顔を見た途端、話さなければならない衝動に襲われた。
夢の中で生きているような不思議なおじさんだからだろうか、夢にしては肌感覚のある不思議な夢だったからだろうか。
「夢?この危機的な現実とそれが何か関係あるのか。」
「最近夢はよく見るのだけれど、今回はちょっと違っていた。夢なのだけど夢でないような。」
いぶかしがるおじさんの顔がゆがんだ。新しもの屋の顔だ。
「お金を必要としない世界なんだ。」僕はしたり顔で話を進めた。
「何でもお金、つまり貨幣を必要としないんだ。欲しい時に欲しいものがもらえる社会でさ、階級も階層も無く当然格差社会じゃないんだ。必要に応じて働き必要に応じてもらうのだけれど、いわゆる僕たちの言う会社というものではなく、労働というものもないんだ。」
「マルクスの”共産党宣言”の言葉にそんな文言あったかな・・・・。夢の中で、来たるべき理想社会を夢想していたんじゃないか。それで、話はそれで終わりか。」冷めているだろうお茶を飲みこんで、おじさんは冷たく突き放す。
確かに僕の夢は貨幣を必要としない社会で、お金に困っている僕がお金を必要としない風景を見て興奮してしまった夢かも知れないが、何故か夢の中で見たものが重く気持ちに落ちる現実味があった。不思議に生の感触があったが、夢を見ていた時間が短かったにも関わらず多くのことが頭にこびりついていた。言葉で説明を受けていないにも関わらず夢では多くの時間の中で、夢の中の僕は長い間その世界で生きて来ていたようなのだ。たくさんのことが何故か説明抜きで理解できていた。それも不思議なことなのだ。
ただ、おじさんに説明するためには夢での続きでフォローしなければ、話はただの夢に終わってしまいそうな、そんな他愛ない話でしかないだろう。
「整理して、あとで話すよ。今は腹が減っていて、だってハンバーガーを買いに行くのにおじさんのところに寄ったのだから。
夢の話しは面白かったから、おじさんも夢の話にのると思うよ。」
おじさんはポカンとしている。おじさんは自分が話したい事の口上を始めるつもりが、僕が先に口出ししたので勢いをそがれたのだ。
「なんだ、もう行くのか。ハンバーガーか。」おじさんがもごもごしている間に、僕は立って玄関に向かう。
「おじさんも食べますか。買ってきますよ。」
「じゃあ、頼むよ。俺はバーガーセットで飲み物はコーヒー。
ところで、武志はハンバーガーの出来たところ知っているか。アメリカじゃないぞ。」
中年おじさんの好きなダジャレに付き合ってはいられない。
「反バカアとかいうんでしょう。日本産です。」僕は靴を履きながら応えると「ばか、ハンブルグだ。ドイツだ。」という声が背中に聞こえた。
駅のハンバーガー店に向かい歩きながら、今おじさんに話した夢のことを思い返していた。
夢の中で初めて会ったには馴れ馴れしい男と歩きながら、僕は平屋の大きな建物の中に入った。そういえば来る途中に高い建物はなかったように思う。
地平線がぼんやりと浮かぶ夢の中を泳ぐように歩いてきたのだが、長い距離を歩いていたようだ。周りを見る余裕はなかったのだろう。
入った部屋には10人程の人が立ったり座ったりして色々なパネルを見ながら話をしている。パネルに向かって話をしながら、隣の人が何か返事をしていた。
ここでは話をしなくとも意思が通じていて、話す言葉は最低限の会話のようだ。
それでも皆忙しそうに動いている。
僕もパネルと手前のずらりと並んだボタンの前に立って作業を開始する。
慣れたようにパネルに呼び出した人と話をして、呼び出した情報を挟んで会話をする。すると情報が誰かを呼び出し、もう一人がパネルに現れ会話に参加する。
初めてのことなのに、僕は夢の中ではこの世界に馴れきった僕に成り切っていた。
ここでの僕は記憶までが、ここにいる夢の中の僕の記憶になっている。
朝何を食べたのか。食べたのは軽いふわっとしたものを手で口に頬張り、小さなコップで水を飲んだだけだがお腹は一杯だった。
夢を見ている僕は、夢の中の登場人物になり切っている。物を触る感触は現実そのものだった。
パネルを挟んでの会話は、相手の健康に関するものだった。
会話では健康は自己管理なので、病気になる前の体調管理の話しがメインだった。普段僕らが耳にしている「未病」のことで、発病して病気になる前にあらかじめ注意し合うシステムになっている。
ここでは各人、子供の時から医学知識は身につけており、自分の持ち物と自宅には体調のデーターを管理している器具があり、その他色々なデーターがシステム化されてこの部屋に集中している。今見ているモニターでは、対象になった人物の血液流通機能のトラブルの話しと、それに詳しい友人が会話に参加していた。
夢の世界には学校がない。大人が子供に相対してあらゆる「学問」を教えることになっている。
子供の時からそんなにたくさんの知識が必要なのかと思われるが、自分の生きている世の中で脳細胞や機能は数パーセントしか働いていないと言われている事を考えると小さい時から相応に脳を鍛えて、子供の時から自分の体の細部を知っている事は当然なことで、自己管理としての健康を考える意味では合理的だ。
自分の体を医者に任せる僕のいる現実が不合理に感じて来る。
僕の立っているところは村なのだろうか。それでも全国の情報が瞬時に個々の人に分かるシステムは、これも合理的なのかもしれない。全ての人が生の情報を共有化している。
マスコミも政府も存在せず、自分たちで全ての案件が処理されてゆく。
莫大な数の情報も合理的に地方で処理するものと全員で処理するものとがあり、それを自宅の居間でソファーに座りながら煙草をくゆらせて処理している。
この莫大な情報の量とそれを処理する能力と、それを個々の人間が対処するのはどのようなサポートを必要とするのか。夢を見ている冷めた僕には理解しがたかった。ただ、僕たちの言うIT活用以上の能力開発が進んでいるようだ。
そこで使われているエネルギー資源はどうも電気ではないようだ。確かに電気を使う器具は停電に弱い。電気が止まったら僕の世界はどうなるのだろう。
夢の中の僕の住んでいるところでは、外からの防御には空間のひずみを利用して専守防衛に徹しているようだ。他国を攻撃、侵略しない日本国憲法9条の世界だ。
夢の中の僕には恋人か奥さんか、大事な人がいるようだ。子供はまだいない。
夢の中ではすべてが合理的で夢の中の自分は安心して暮らしているようだ。しかし、それでもこれは夢なのだと思っている僕がいる事が、夢の中の異端者的な妙な気分で夢を見ていた。
夢の中で感心している自分がいて、もう一人の自分との違いが夢の中で違和感があったが、それが夢だと考えると納得がいく。
ぼくはハンバーガーのセットを両手にぶら下げながらおじさんの部屋に向かった。
おじさんは出涸らしのお茶を飲みながら本を読んでいた。
「おっ、早かったな。」と言いながら、持ってきたセットのコーヒーを袋から引き出して飲み始めた。

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