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紙の舟 ep.11

何の準備も用意もしていない傍若無人な人間を客としてもてなしてくれるのは、主客が転倒した行為だ。僕はただかしこまって固くなっていた。
「申し訳ありません。本人の希望とはいえ関心を持ってもらえる先生にお会いできるのは千載一遇の、またとない機会だと思い、駅で待っていたのですが、来ませんでした。そのことを電話で詫びるより、直接先生に謝ろうと思い来ました。お忙しい中、本日は本当に申し訳ありませんでした。」
「理由は別に、しょうがないですよ。代わりと言っては変ですが、お互い会えたことに乾杯しよう。乾杯!」
僕は言われるままにウイスキーの入ったコーヒーで乾杯した。僕には勢いはなかった。
「まずはその女性がどんな人か、そして彼女が働いているパチンコと言うのは私には馴染みがないので教えてくださいよ。」
先生は、子供が新しいことを発見したような、学生が未知の世界の探求心を高めたような熱い思いを発して僕に訊いてくる。
僕は江の事、そしてパチンコの構造や営業の事、聞かれるままに話しをしていた。
「最近では景気がいいのか、日本の若者は汚い、臭い、疲れる仕事には目が向かないようで、パチンコで募集しても誰も来ないのです。その代わり外国人の応募が多いのです。ですから川口では韓国人や中国人を雇う店が多いですね。実際、川口市には外国人が多く、フィリピンの女性は水商売、イランの人は工場関係で働いているようです。」
「円高で、日本で働くメリットもあるからね。日本もそういった外国人労働者で成り立っているが、彼らの人権や生活に関しては何も考えていない。つまり使い捨てのままで来ているから、外国の人が災害や差別にあっても何の防御策、保証もないままなのだ。長く居ようと思っても、特に教育を受けるという基本的な権利さえも保証されていない。保証を受けたかったら同化しろという政策のままだ。口では国際化というが、内なる国際化に対しては何もしていない。」
先生の話は、浅いところから深いところへと話を進めるので、聞いていて分かりやすい。
「パチンコで働きに来る外国人は多いのですが、そんな働いている外国人と付き合うのに、言葉と習慣、文化の違いは大きいですね。」
僕は、うちの店での言葉の違いでの笑い話など紹介していた。
応募に来る日本人がいなく、ホール従業員全員、韓国の留学生に働いてもらったことがある。
彼らは大学を出て徴兵制で軍隊生活をしていたので、規律や仕事に対しては立派にこなしてくれた。ただ、言葉の習得に関しては個人差があることから、言葉や台の構造やシステム、トラブルの処理は僕が教え指導していた。
ある日、閉店後全員を集め台のトラブルの処理の説明と対応を分かりやすい日本語で指導していた。
「トラブル処理に入る時、まず失礼しますと言い、お客さまを台から離してから処理をする。トラブル処理の手順・内容はこうします。終わったら終わりましたと一礼し、お客様を台に座らせ、どうぞごゆっくりとお遊びください、と言って離れる。それではこれから一人ずつ順にやってみる。他の人は実地を見て、実習している人の仕草や言葉を頭に叩き込む様に。」
一人一人やらせ確認する。この作業も人数にもよるが深夜までかかることもある。
順番に訓練も最終にかかった。
最後は、日本語の不得手な朴だった。
朴は緊張しているのかぎこちない。僕はどんなことがあっても、出来るだけ怒ることはしないようにしている。
最後の実習が始まった。
「失礼します。台を離れてお待ちください。(色々処理をやり)これでトラブルの処理終わりました。
それではどうぞ、ごゆっくりお休みください。」
「ちょっと待て、朴。お客さんを寝かせてどうするんだ。お休みくださいではなく、お遊びくださいだ。」
雷を落とす前に、僕が笑ってしまった。みんな笑っていた。こんな感じの訓練だった。
またある日、パチンコの建物の三階を韓国人の留学生が寮として使っているのだが、そこの韓国人から「三階が臭くてどうしようもない。どうにかしてください。」という苦情が入った。
そこで十部屋ある寮を一部屋ごと調べ、最後の寮室を開けると目の前に白菜が山と積まれていて、ニンニクや唐辛子で漬けたキムチも置かれていた。これだけの量のキムチでは臭いというだけでは済まないだろう。
その部屋に入っていた留学生の金に話を聞くと、キムチはいつも自分で漬けているので、寮のみんなと会社の人に配るつもりでいたという。
その善意は有難いが、中止させるわけにもいかず屋上に具材を運び、そこでやらせることにした。
これも彼らの習慣に元づく「問題」ではあった。
話を聞きながら小沢先生は、膝を抱えて笑っていた。
僕は、外国の人と仲良くなるためには相手の文化も知り、違いは違いとして理解した上で、お互い尊重し合える関係作りが大切だということを話していた。
二人の話が盛り上がったころ、電話が鳴った。
先生が取り上げ、話し出した。
電話口を抑え、僕に「申し訳ない。君も知っての福島君のお母さんからだ。少し、話をするから。」と言う。
福島さんは、ヘレンケラーのように耳も目も不自由な人だが、その不自由を乗り越え、今大学院で勉強と研究生活をしている。そのお母さんからの電話だった。

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