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【小説】ぼくとおじさんと ep.2 

ぼくの親父と一回り離れたおじさんは末っ子で、仕事一筋のお爺ちゃんとぼくにも優しかったおばあちゃんの下で暮らしていたんだ。結構やんちゃで両親を困らせていたが、何かの事で刑務所に入ったと親父は言っていた。その間に両親が無くなってしまい、おじさんをずっと待っていたのがおばさんだった。結婚したのはそこに入る前だったのか後だったのか、出てきた後のおじさんはまじめに働いたという。これも親父の話だが、お爺ちゃん夫婦が無くなりおじさんを支えていたのはおばさんだったという。二人はべた惚れだったということだ。だからなのだろう、おばさんが癌で亡くなった時、おじさんは死んでしまうかと心配したぐらい憔悴していた。
そんなおじさんだから、結婚の話をしてきた時、そんなおじさんの結婚観を聞きたかったのだ。
少なくても今の時代、特に僕にとってはまるで違う世界から来た人のように思える人だから、そんなおじさんのぼくの知らない話に興味があるのだ。
でも、文は聞くなという。あの、怒ったような泣きたそうな顔は何なのだろう。
ビールが無くなったので注文をかけた。
「おじさんのも頼もうか。文は?」
「じゃあ、私もお願いね。」
文は話し続けていた。
「だから織田信長は今で言うと理系の人、合理性を考え抜いた人だったのじゃないかしら。
それまで戦争では農民を使っていたので農繁期には戦争は出来なかったでしょ。それに対して織田信長はいつでも戦争が出来る軍隊をつくっていた。太田道灌と会う時だって、それまでの槍よりも長い槍を兵隊に持たせて度肝を抜いたらしいけど、鉄砲にしても先んじで使っている。桶狭間の戦いにしても、勝つという自信があってやったのじゃないかしら。」
「その合理性はどこから来ていると思う。」
おじさんは文にしゃべらせたいようだ。
「港があって経済的には豊かで軍事も商売も勧めていたし、最貧者への配慮と言おうかそんなこともしていたわね。
つまり、武力で戦争ばかりしている現実の中で無駄な戦いを納めることを考えていたと、私は思うの。だから最強の武力での全国支配がその目的で、当時の大名はそこまで考えてはいなかったと思う。その考えに倣って、部下の豊臣秀吉は全国支配を目指し、徳川家康はそんなレールの上を走ることができたのじゃないかしら。」
「全国制覇か。それにしても非情な人間だと思われているね。」
「それは人の上に立つことができるのか否かという、シビアな人間判断じゃなかったのかしら。
確かに女たちをチャラ化した平民を無常に切り捨てたり、自分に敵対したり、裏切者には非情に対処しましたよね。比叡山の虐殺行為は有名よね。それもこれから先、自分の思い描く世界にとって不必要、ある意味では敵になると判断したからの行為でしょうね。
子供の時からの織田信長は服装もやることも”大たわけ”と言われるほど常軌を逸していた。それが彼の世界観だったと思うの。
武志はどう思うの。」
いきなりぼくにお鉢が回って来た。
「ぼくはそんな人殺しの世界にはあまり関心がないんだ。それよりもその時代時代に庶民、多くは農民がどう生きてきたのかに関心があるんだけれど、教科書にはそんな事書いていないよね。農民一揆の事は書いてあるけどね。」
ぼくには今の現実の生活、どうやって飯を食うかが関心事だ。だから江戸時代でも奈良時代でも、もしぼくが生きていたならどんな風に生きていたのか、暮らしていたのか。今みたくキュウキュウで暮らしていたのなら嫌だ。どんな風にして何を楽しみにしていたのかが問題だ。
「教科書には、偉い人の話しとか戦争とかしか書いてない。文字のできる人の短歌とかおしゃれとかの文化が載っている。それが歴史だと書いている。
文字を知らない多くの農民や庶民はその他大勢でしかないけど、そんな人たちが貴族や金持ちを食わせ生きてきた。でもそんなその他大勢の農民が歴史の中にいて、そんなその他大勢の庶民が歴史を作って来たんじゃないのかな。
今の世の中で、ぼくもその他大勢の中の一人だけれど、とりあえず頑張らなくても生きている。
戦国大名の話は聞いていて面白いけれど、それで飯が食えるわけでもないし、酒の肴にしては高尚過ぎるんだ。僕には。
どうせ話をするのならあの大名は助平だったとかいうのであれば、ぼくは乗るよ。」
おじさんは笑っている。
「そうかそうか、武志悪かった。話題を替えよう。」
「おじさん、いいのよ。武志ひねくれてるの。話続けましょうよ。」
文はぼくを無視している。無視と言おうか、おじさんを結婚の話しから遠ざけようとしているようだ。
「ぼくは追加を頼む。店員さん、ほっけひとつね。おじさんは?」
「そうだな。じゃあ、刺身でも頼もうか。」
文はおじさんの顔を見つめていた。そして僕に向き直る。
「武志も話に参加してよ。歴史の本だってよく読んでたじゃない。」
「わかったよ。」
ぼくは文の作り笑顔に返事をした。さっきの悲しそうな顔がぼくの心の奥に沈んでいる。
おじさんへの心遣いだと思っていたが、あの目はぼくを見ていた。
そう、あの僕を見る目は、かって見た目だ。そしてぼくの膝の前で泣いていた。
あれは三年前になるだろうか。文のアパートを出る時だった。その同じまなざしをさっき見てしまった。
 
 
 
文の両親が実家に戻ることで彼女は大学に通うためアパートを借りて生活することになり、引越しの手伝いからそのままぼくは彼女と暮らすこととになった。
中学、高校と同期で、大学は違えても気心は通っていたし、可愛い文はぼくの自慢でもあった。好きだった。
初めて肌を合わせた時、その肌合いの違いに興奮した。そして抱き続けた。こんな女と一緒になりたい、できれば結婚したいと思っていた。彼女もそう思っていたのだと思う。
大学の四年間、ままごとをして暮らしていた。ぼくはバイトをして、彼女は生物学の勉強をしながらも家の仕送りで過ごしていた。特に研究室に入り込むと徹夜もあって大変そうだが、それでも彼女は勉強が好きなのか、頑張っていた。そんな彼女をぼくは尊敬すらしていた。それはぼくには無いものだからだ。
ぼくはというと、大学に入って周りに僕を超えるような勉強のできる奴らがたくさんいる事にびっくりして自信をなくし、やがて勉強にも飽きてバイトに熱中しだした。バイト先のコンビニで頼りにされるようになると嬉しくなり、そこはぼくが自慢できる場所、唯一自信のもてる場所になった。
給料日には文と二人で少し高めの食堂で普段二人が口にしないものを食べに行くことが、何よりもバイトをすることの楽しみだった。文の喜ぶ顔が見たかったからだ。
日曜日はぼくのバイクに文を乗せ、風を切って見たことの無い土地柄を回るのも楽しみだった。
研究室と図書館しか行くことのない文にとって解放される唯一の楽しみだったからだ。
ぼくはそんな風にしてぼくの大学時代を過ごした。
そんなある日、親父が死んだ。
小さな会社だったが親会社の倒産で、親父の会社も倒産してしまった。それも突然だった。
親父はなけなしの金で従業員の給料や退職金を払ってあげた。貯えた金は全て消えた。
倒産で走り回った挙句、親父は心筋梗塞で死んでしまった。いやいやながら手伝った葬式で親父の借金がある事が分かった。
それからだ。それまで呑気に暮らしていたぼくに借金の片棒がふりかかって来た。
仕事と言ってもぼくにはアルバイトしかない。大学での就職活動も、皆の慌てふためく姿が嫌だったし、就職して職場で他人と競争するのが嫌だった。何よりもバイトでの充実感はそんな就職競争から逃れることができていた。
だが、親父が死んでローンの支払いと家族を食わせるためにはなんでもいい、少しでも稼げる正規で働かなければならない事になった。
最初は不動産屋に就職した。怒鳴られ続けるのでダメだった。
運送会社に就職した。ここも続かなかった。
結局コンビニのアルバイトに戻っていた。
借金の返済が続き、家族を養うことに疲れていた僕はいつも文の事を考えていた。その間文は心配してぼくのところに来てくれていたが、ぼくからは文のところへは行っていなかった。
アルバイトをしていた時から、いつ結婚してくれと言おうか考えていた。でも、アルバイトでの稼ぎでは支払いは厳しく、生活もぎりぎりで夢も希望も叶えるなんて難しい。その上結婚、ましてや子供なんて。
親父が死んで、それこそ現実に放り出されると何もできない事に気が付いた。
このままずるずると文との生活はできない。そして結婚もできない。早く区切りをつけなければならない。
ぼくは文のアパートに向かった。
 
 
「武田信玄なんて面白いと思うよ。織田信長が一番に恐れていた人間だったし。」
ぼくは何とかみんなに加わろうと話を切り出した。
「確かにあの時代には、回りの大名も一目置いた存在だったな。」
ぼくが話し出したのが嬉しかったのか、おじさんも同意してくれる。
「比叡山から逃げてきた管主や僧侶たちをかくまったり、情もあるし宗教心も高かったからね。
農民のために河川工事をして生産性も高めている。」
すると文が口を挟む。
「農民保護というより、生産性を高めるという意味では織田信長も楽市・楽座で商業政策も勧めて規模の生産性は良く考えていたと思うの。関所も撤廃した。流通の活性化よね。
当時の大名は土地の規模を拡げる事、領土拡張が戦いの主眼でしょう。
でも、織田信長は”天下布武”を言った。」
やっとおじさんが話し出す。
「確かに、織田信長の野望は天下取りだったと思うが、その天下とは全国だったのか尾張を含む関西近縁までだったのか色々な学説があるようだよ。彼が本能寺で49歳で死ななかったら、歴史はまた変わっていただろうがね。」
「おじさん、織田信長は”天下静謐”ということも言ったと聞いているけど、それは戦争のない世の中にすると受け取っていいのかしら。」
文は良く知っている。ぼくはそこまで頭が回らない。
「”天下静謐”も、天皇や将軍の下で京都や周辺国の安定した支配の事を言っていると理解されているが、文ちゃんのように世の中隈なく戦争のない平和を考えていたとしたら、すごい人だったと思う。いつの時代にも戦争はつきもので今でも世界では戦争が起きているのだからね。」
「でも戦争って、結局庶民同士の殺し合いでしょう。軍隊や軍人と言っても死ねば親兄弟が悲しむだけじゃない。国や領土と言っても、昔から領主や大名の戦争に庶民が巻き込まれていただけよ。」
なんか話が大名から庶民に変わっていった。酒の場での話はそんな変化があっていいのかもしれない。けれど、そんな話の続きに武田信玄では場が持たない。二人の話を流し聞きするしかないようだ。
ぼくは先ほどの文の悲しそうな眼差しを思い出していた。今はおじさんと活発に話をしているが、今となっては文にはたまにしか会えないが、会ってもあんな顔はしない。
結婚という言葉を耳にして、ひょっとして見合いとかあるのか、待てよ、恋人ができたのでぼくと比較でもしたからなのか。でも、それであんな悲しい顔をするものなのかな。
ぼくの胸のつかえは、記憶の奥に沈殿していた古い傷を突き動かしていた。
ぼくが大好きだった文をそんなに悲しませることがあったのか。
 
 
ぼくが文のアパートに行って部屋を開けて入ると、文は寝ていた。
疲れたのか寝不足なのか顔が腫れていた。
ごめんね、今布団たたむからという文の言葉をさえぎり、そのまま彼女を寝かせて僕は話し始めた。自分の決心を伝えたかったからだ。
息を吸って周りを見ると、ぼくのいた時と変わらないままだった。ぼくの愛用していた目覚ましは本棚の二段目にそのまま置いてあった。
ぼくは文の枕元に座った。文はじっとぼくの顔を見ていた。
ぼくはぼくの置かれている現状を説明した。
親父の借金で家を売り払い安いアパートに越したこと。辛かったが愛車のバイクも手放した。借金は銀行との話で割り引いてはもらったが長期にわたる事。妹は嫁いでいるので、返済はぼくとお袋でやる事。コンビニでは店主がぼくを準社員扱いにすると言ってくれたが、扱いは非正規のままで身分が安定しない事。仕事は夜中を受け持った。お袋も年なのでこの先無理はさせられない事。
この状態では以前のように付き合うことができない事を文に伝えた。そしてこの間文がぼくに良くしてくれたことに感謝しているという事も。
文がぼくをどう思っているか分からないが、これからは文が自由になっていい人を見つけ結婚でも何ででも幸せになってほしいと伝えた。ぼくはそのためには文のために応援するし何でもやってあげると言った。言いながら涙が出てきた。
文は布団をかぶり泣いていた。
ぼくは自分の無力さ、非力さを感じていた。こんな時、相手を泣かすような話しかできない自分に腹が立った。それが悔しかった。涙は、そんな悔しい涙だった。
話し終えてぼくは立った。そして一言だけ文に伝えた。
「このままぼくは文と会わなくなるけど、」と言いかけると、文は布団から身を上げて涙で一杯の顔を僕に向けて「また会ってもらえる?」と言葉を返して来た。
ぼくは言葉が出なく、ただうなずくだけだった。
アパートを出て文の部屋の窓に目をやった。文の最後の言葉が嬉しかったが、自分のふがいなさがそれにもまして心をふさいでいた。
それからは二カ月に一回ぐらい会うことができた。文はアパートを引き上げ、隣町の親戚のところから大学の研究室に通っていた。

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