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シェアリングエコノミーは社会システムを変える? 【想像力爆発シリーズ】

いろいろなビジネスモデルが登場するなか、シェアリングエコノミー(共有経済)にはとりわけ注目している。シェアエコ×○〇のビジネスの開拓はあらゆる部分で進んでいて、若年層を中心に市民権を得ているように思う。シェアエコはもっと根本的な社会の基盤そのものを変えるんじゃないかとさえ思っている

自分の考えの整理とともに、シェアエコの可能性を探ってみたい。SF的に想像力を爆発させた論理展開にご注意。

シェアできないものはない?

かつて戦争や争いは、モノを備蓄することから始まったといわれる。持つ者が富み、持たざる者が貧しい社会。持つ国が富み、持たざる国から貧しい国。単純だ。

人は持つことに躍起になり、たとえば家を買うことに精神的・時間的・金銭的にも莫大なリソースを注ぐ。それは持つことが安心感につながり、持つことが財産になると考えるからだ

しかし、ここにきてシェアリングエコノミーはそんな社会の当たり前を変えつつあるように思う。シェアエコ×モノは代表的なモデルだ。フリマから始まり、家具・家電、車、家などなんでもシェアエコが適用されるようになっている。

水平と時間軸で加速する

シェアエコは、水平方向と、時間軸で加速すると考えている。

水平とは、子供が独立した家で考えればわかりやすい。夫婦2人で暮らすには3階建ての4LDKはあまりに大きすぎる。じゃあ空きスペースを貸してしまえばいい、と考えるのは普通だ。

さらに俯瞰してみれば、人口減少が進む地方部において。かつて5万人が住むことを前提にデザインした都市が、4万人になってしまえば、1万人分の交通・住居などの都市機能は持て余されることになる。

移住者ではハードルが高い。テレワークや、出張と旅行を組み合わせるワーケーションとしてその1万人分の「穴」を埋めることができる。

時間も切り売りできるシェアエコ

続いて、時間軸。一人暮らしでマンションを持つ30代の男性。一週間の出張期間、持て余されるマンションは空きスペースとなりうる。旅行もしかり。

持つ者が所有物をすべての時間軸において完全に使い倒すことはできない。それならば、お金を対価として貸してしまえばいい。安全で特に労力を使わずにそれができるなら、「自分のモノを貸し出す心理的なアレルギー」以外に障壁はない。

一方、借りる側はどうだろう。「持つ」ほどのリソースをかけたくない人、そこまで魅力を感じない人には最適だ。

クオリティは仲介業者によって保障される

また、仲介業によって持つ側、貸す側の品質を保証するためのシステムが形作られる。持つ側は、「貸してやる」なんて偉そうなことは言えない。なぜなら悪い口コミなんてされると誰も使ってもらえなくなるからだ。

持つ価値は相対的に変わる。持たなくても、必要な時に持つことができるからだ。もっと楽しむこと、コトの消費にリソースを割くことができ、人生を楽しめるからだ。

シェアリングエコノミー協会のサイトを見れば、面白い。空間、移動、モノ、スキルも共有経済の範疇だ。市場規模は、2018年度は2兆円ちかく、2030年には10兆円をこえるとの予測があり、もしこれが実現すれば、国家予算の10%に及ぶインパクトだ。

もっと論理を飛躍したい。

良い者が富み、悪い者が貧しい社会

シェアエコは階級をなくし、戦争をなくすのか?

ビジネス状況を加味せず、性質的な部分だけを取り出せば、これまで明確だった持つ・持たないの境界は、曖昧になる。正確には境界そのものは存在するが、水平・時間軸で切り分けられるので、持つことの絶対的な価値はなくなる

もっているモノ・空間の価値としては相対的に下がらざるを得ない。じゃあ冒頭で示した持つ者が富み、持たざる者が貧しい社会はどうなるのだろう?

CtoCビジネスを例に考えてみよう。提供する側は、常により良いモノ・空間・スキルを提供しなければ、たちまち買い手がいなくなってしまう。口コミや評価システムなどで仲介者はクオリティを担保することが、ビジネス成功のための至上命題だからだ。

これは仲介業がもっとも注力すべき適正な評価システムの構築を怠り、というか意図的に足元の利益を追うようなシステムをつくりあげたキッズラインの事件が分かりやすい。評価システムが支持されない仲介事業者は早晩、駆逐される

とはいえ、格差の核の部分であるお金はシェアできるのか、という反論もありそうだ。お金をシェアすることはできるのか。クラウドファンディングもシェアエコの1つだし、すでにこれも一般的になりつつある。

社会貢献やよりよい取り組みに対してお金をシェアする。それにはファンづくりが重要。つまり少しでも怪しい動き、不正的な動きをすれば、シェアエコ的な持つ価値はなくなる。常に良い行動をしなければならない

こうしたシェアエコの加速が実際に、持つ者が富み、持たざる者が貧しい社会はなくすエンジンになるかはわからない。しかし、良い者が富み、悪い者が貧しい社会になるという期待は持つことはできそうだ。