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「ご注文は」「とりあえず激辛で」

自問自答することも偶には悪くない。脳のクオリアがどうにかなるって茂木健一郎も言っていたとかいなかったとか。


迷うな!「とりあえずビール」だ!

 世の中の酒クズの多くは最初の一杯をビールと決めている。ビールが好きなのは言うまでもないけれど、ビールが好きというよりアルコールが好きなのであって、何が何でも「俺はビールなんだよ」ではないのだ。
 お店について着席したら最短最速で一杯にありつきたい。ならばシンプルで手間のかからない酒が一番早い。よって「とりあえずビール」なのだ。迷う暇は無い。
 即断即決はい乾杯。焼き鳥唐揚げ刺身枝豆なんでもござれ。夜は長いと武者震いよろしく勇んで街を巡り歩き、脳ミソはぐずぐずに溶けていつのまにか翌朝をむかえるのであった。めでたしめでたし。

 いや、この記事はビールの話ではないのだ。

 メニューを見て迷うのが嫌いだ。俺は短気でセッカチなので最初はビールを頼むことにしている。同様に店選びで迷うのも大嫌いである。
 『孤独のグルメ』の如く、昼時に「俺の腹は今、何腹なんだ?」と街をウロウロしていると空腹による苛立ちと判断力の低下で店が一生決まらず餓死してしまうだろう。そんな訳で俺は「とりあえずラーメン」と決めている。

私は如何にして心配するのをやめて激辛を食べるようになったか

 話は変わるけど、俺はいつの間にか激辛料理を好んで食べていた。たぶん大学生ぐらいからだと思う。一人暮らしを始めて自由に外食が出来る状況に身を置き酒やたばこを覚え始めると、より刺激のあるモノを求める嗜好性が出来上がったのだろうと思う。度数やクセの強い酒やタバコを求めると同時に、よりインパクトの強い料理を求めるようになった。即ち激辛料理である。自炊では塩より一味唐辛子の消費量が増え、お店に激辛料理があれば迷わず注文する日々が続いた。大学を卒業してしばらくたつ今でも激辛料理を食べ続けている。

某店で一番辛い担々麺

 激辛料理は長距離マラソンやサウナに似ている。辛さを我慢して食べ続けていると、ふと恍惚感を覚えるのだ。頭がフワフワして耳鳴りが始まってからが本番である。痛いツラい辛いと心の内ではギブアップを言い始めているが、心の声を無視して食べ続けていると突然気持ちよくなっている自分に気が付き始めるだろう。いわゆるランナーズハイ、サウナの整ったというやつである。食べ終わると達成感充実感で満たされ大変気分が良い。

某店で一番辛い辛ねぎ中華そば

 俺は胃袋が丈夫な方であると自負しているが、肛門は人並みである。翌朝はケツからマグマが噴き出る様子を想像しながらトイレに籠ることになるが、もはや毎度のことで慣れてしまった。
 ビールをたくさん飲めば小便が出て少し酔っぱらう事を心配する人がいるだろうか。同じことである。俺は激辛料理を食べたそのあとを心配することはやめてしまった。

「激辛」を見つけると条件反射で購入してしまう


俺はホントに激辛が好きなのか?

 さて迷うことなくラーメン屋に入った俺は迷うことなく一番辛い激辛ラーメンを注文する。「とりあえず激辛」なのだ。
 激辛ラーメンを完食した俺はある日ふと思った。

 俺はホントに激辛が好きなのだろうかと。

 もはやルーティンと化したメニュー選びで何となく激辛を選び気持ちよくなっている俺は、激辛を楽しんでいるというより、ドラッグのようにカプサイシンを摂取しているだけなのではないか。美味しい料理を楽しむのではなく、アルコール依存症のようにカプサイシンの作用に依存しているだけではないのか。
 
 そう考えてみると激辛に限らず、例えば好きなミュージシャン、好きな映画、小説、アニメ、俳優、etc… ファンとかマニアとか推しとか色んな言葉があるけれど、その対象を好んでいるというより、その対象を好むことで得られる高揚感、脳内物質に依存しているだけなんじゃないのか?
 好んでいると思い込んでいるモノゴトは、日ごろの習慣と惰性で聴いたり見たり味わったりしているだけで、好んでいるというより「いつもと同じ」という、新奇探索性を欠いた保守的な安心感に浸っている心地よさだけではないのか。
 
 好きってなんだ?
 ただの思い込みなんじゃあないか?
 それの何が悪いのか?

 考えれば考えるほど訳が分からなくなってきた。
 俺は疲れているのだ。
「とりあえずビール」でも飲んで頭を冷やそうか。

〈了〉

某店で一番辛い担々麺。辛さより旨さを優先していてる。

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