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俺の本棚から一冊 #3『ニセモノ師たち』中島誠之助

 先日ビブリオバトルに参加した。メモを用意して臨んだけれど、話す予定だった内容の3分の1に達する前に時間切れとなってしまった。準備不足である。情けないやら悔しいやらで枕を濡らす日々を送りそうなので本稿で改めて紹介する。

『ニセモノ師たち』中島誠之助 2005/講談社文庫

 今この記事を読んでいる人に骨董蒐集の趣味をもつ方はいらっしゃるだろうか。もし居るのであれば業の深いことだなあと関心するし、骨董のコの字もしらねえよと言う人ならばある意味幸せな人だなあと思う。なぜそう思うのかと問われれば、本書を読めば君もそう思うよと答えよう。

 中島先生(そう呼びたい)は皆さんご存じ「開運!なんでも鑑定団」で陶磁器を鑑定する方だ。あのBGMがかかり、しげしげと虫眼鏡を取り出して品物を見始めたら大体ニセモノである。例えば自信満々に500万と鑑定予想価格を掲げた依頼者が3000円という数字で膝から崩れ落ちるような光景を我々は何度も見てきたことであろう。そしていつもの口調で解説がはじまる。
 「これは**時代の**ではありません。まず**がわるい。**時代なら**を**しているはずです(以下略)これは真っ赤なニセモノです。」
 とは言えども最後には「**は良いので大事になすってください」とフォローを忘れない中島先生は優しい人だ。

 ニセモノを買った人は何故本物と思い購入したのだろうか。そしてニセモノを売った人はどこから仕入れてどのように売りつけたのか。本書では骨董業界の裏側、ニセモノを作る「ニセモノ師」たち、客や同業者を騙し騙された骨董商たちの悲喜こもごも描かれていて面白い。

骨董・ニセモノ・騙される人

 これが骨董だと厳密に定義することは難しいらしいが、おおよそ100年前に生産されたものまでが骨董だと言われている。一番大事なことは骨董品とは「命懸けで守るべきもの」という事である。骨董業界は生産性のない業種で、右にあるモノを左に移すことでのみ利益を得る商売なのだ。生産できない骨董品は一度失ってしまえば二度と戻ることは無い。骨董品は常に一点モノなのだ。私は学生時代に博物館の教授に言われた事を思い出した「モノを扱う人はたくさんいるけど、モノは一つしかない」

 たとえば以前、鎌倉時代から伝わる、古筆の有名な和歌の色紙を所有する人の家が火事で焼けてしまったことがありました。重要文化財クラスのその色紙を納入した老舗の骨董商が色紙の焼失を大変に残念がると、その家事で焼け出された本人は「あの品には保険がかけてあったから大丈夫ですよ」と答えたのです。
 それは言語道断、古美術を所有する資格がないというものです。近年は骨董品の輸入や保管に保険がかけてあるから大丈夫といわれる人をよくお見受けしますが、保険がかけてあったからモトは取れるなどという考え方は根本的に間違っています。
 命懸けで守らなければならないのが、骨董品です。

中島誠之助『ニセモノ師たち』

 なるほど骨董品を所有するのは大変なことである。では、ホンモノの骨董品とニセモノの骨董品の違いはどこで生じるのだろうか。

 ホンモノとは、人間があくまでも必要性があって作ったもの、あるいは人間が美意識を感じて創作したものがホンモノで、そうなると、社会において前向きに生産をしてきたものは全部ホンモノであるということになります。
 そして、それに対して人間の行為がニセモノを生むわけです。たとえば昭和の時代に作られた備前焼の花生をわざと汚して「時代付け」(品物を古めかしく見せるために、わざと薄汚れさせたり、全体をわざとくすませたりすること)し、古めかしい箱に入れて演出たくみに「四百年前の桃山時代の作品です」というから、ニセモノが誕生するわけですが、いじくりまわしたりせず「昭和の時代のものです」とありのままにいえば、ニセモノではなくホンモノなわけです。真贋を分ける、まことに単純な原理がここにあります。

中島誠之助『ニセモノ師たち』P16

 『美味しんぼ』の山岡が言う「これはニセモノだ、食べられたものじゃない」とは異なる定義であることは理解して頂けただろうか。



この茶碗、あなたにはどのように観えるだろうか。


 
 そしてどのような人が騙されるのか。
 騙される条件や特徴がいくつかある。
 1.その品物を買ったら儲かると思った時
 2.勉強不足
 3.おカネがあること

 これらの条件に当てはまる人は、小金を持った人が世間で流行っているモノを安く独り占めしようとする場合が当てはまる。さらにその人はちょっと骨董に詳しく、○○焼のナントカの壺はこんな形でこんな釉薬で等々と「約束事」を知っているとニセモノを掴まされてしまう。そして勉強不足とはマニュアル的な知識を超えた時代背景への理解や美的感覚の涵養を怠っている場合を指すのである。

 規格どおりの品物を作るか入手して、実体験が無く書物で勉強した人で、本に載っていることを信じやすく、品物を欲しがっている金銭欲の強い人で、おカネを持っている人を探しさえすれば、いとも簡単に、ニセモノをはめこみやすいのです。それこそ赤子のてをねじるようなものです。
 恐ろしい世界でしょう。それが骨董の世界の一つの顔でもあります。

中島誠之助『ニセモノ師たち』p35

 騙すターゲットは定まった。では何を売りつけてやろうかと骨董商は考える。だます相手はお客だけではない同業者も騙すのだ。
 骨董品にはそれぞれ「約束事」がある。例えば茶道具の茶碗を例に挙げると、茶碗を包む袋や外箱や紐がある。各時代別にしかるべき組み合わせがあり、すべての約束事がきちんと整っていれば茶碗の付加価値が高まる。これがまず大前提である。
 例えばとある競り市で、箱に入ってないが味わいのある茶碗を10万円で入手したとする。店にストックしてある余り物の空き箱、布、紐を茶碗にそれらしく合わせる。さらに良い感じの尤もらしい銘を達筆な字で書き加え、仕上げにお茶をたてるなどして使用感や味わいを演出し「次第」を整えておく。そして同じような「次第」の品物が集まる競売に混ぜておくと、200万円で売れてしまう。10万円が200万円である。

 こうして仕組まれたニセモノが、何年後かに再び市場に売りに出たとしても、おそらく見分けることができない。それほど優れたものなんだ。優れたニセモノとは、約束どおりに仕立てられ、気合が入って非常に手がこんだものなのです。
 現代でいう「ニセモノ」は、ニセモノ以前のもので、ニセモノのうちにも入らない。ホンモノを知らない人が作ったニセモノを、これまたホンモノを知らないお客に売り込んでいる。それはままごとであり、滑稽にすぎない。言い方をかえれば、ものを知らなない人同士がニセモノを商っているいまは、文化不毛の時代だと思いますね。

中島誠之助『ニセモノ師たち』P78

それでも骨董品が欲しい人へ

 こんな人が騙されニセモノを掴まされると教えてきた本書ではあるけれど、最後にどうしても骨董品が欲しい人へアドバイスをしている。意外なことに「騙すより騙されろ」というのだ。骨董業界の修羅場をくぐり抜けてきた中島先生の言葉は重い。騙したことで心に一生の汚点が生じるより、騙されたことで勉強にもなるし、騙した奴はその程度の人間だと哀れむ気持ちも持てる。骨董を集める人はそれぐらいの心の余裕が必要だと説くのだ。ほかにも重要なアドバイスをいくつかしているが、ぜひ本書を読んでほしい。

最後に『嘘八百』という映画をお勧めする。
本書の内容そのまんまの映画なので予習復習の為に本書の一読をお勧めする。



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